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aikidonotatujin さん、初めまして。
キリンの首と申します。
レスということをするのが、初めてですが、
武道の愛好家がいることが、嬉しいです。
私も空手・拳法という打撃系が好きで、齢40も過ぎてから、この五年ばかり取り組んでおります。合気道にも興味があって、初心者講習会には何回か参加したことがあります。
掲載された写真のシーンは、「正面入り身投げ」が終わった瞬間でしょうか?
確かこの技は、相手の体を前のめりに誘導しつつ、刹那に反転して、体勢を立て直そうとする相手を右手刀で後方に倒す手順だったと思いますが、私の稽古参加経験からでは、手刀を打つというよりも、相手の首当たりに腕を絡めて、後方に押し倒すようなやり方も見られました。
私が参加した稽古会の一つに、神道自然(じねん)流にいた西尾昭ニ先生を最高顧問とする会派がありました。神道自然流は、植芝盛平に空手家として弟子入りした小西康裕が開いた流派です。
「正面入り身投げ」では、相手の正面を、肩から腰に袈裟に斬りつける感じで技が出ていました。その場合、相手の体は、腰を中心に斜めに崩れ落ちるようになります。体が後ろに反り返って倒れるのと違います。
そこの合気会では、稽古に模擬刀を用いて居合の形稽古を採り入れていたのが、印象的でした。私は、全剣連居合は一年経験がありますが、合気道も元来は、剣に対応する動きであるとも聞きますが、剣術の理合と体術の理合が一致することを、私なりにひとつ自得したのが、上述の稽古会でした。
最近、マスコミでも武道・武術系からの身体論、身体や姿勢の自然とは何かのような話題への注目が増してきています。
この種の議論に先鞭をつけた一人は、甲野善紀先生でしょう。
甲野先生も、合気道の出身ですが、以前から剣・体一致の理については著書等に記されていました。剣術と体術とで体の用い方が違っている今の武道のあり方に、疑問を示されていました。
甲野先生とは、一度ある場所で、軽く手合わせをさせて頂き、当て身のような突きを左胸にくらったことがあります。体がポンと弾かれるような不思議な突きでした。空手系の人の突きとは違っていました。
日本人が失いつつある自然な身体感覚、身体意識、そのたたずまい等、ハラの文化等とも言いますが、それは今、取り戻さなければ手遅れである大事な文化なのではないか(既に、手遅れなのか?)と思います。それは、教育なりが目指す根本の方向の一つ(これが全てとは申しませんが。)であるとも思われます。
私は右よりの人間ではありません。若い頃から今でも、左翼系ですが、この種の議論に右も左もありませんが、
文科省は、昔から武道を誤解してはいないでしょうか?
校内暴力の抑止策程度に捉え、単に子供のエネルギーの吐け口としか考えていないように見えます。
武道を通して己れを知り、自分の身体(感覚)の自然を取り戻す試みが模索されていいと思います。武道を、そのように位置付け直す必要があります。
また武道が、戦いのノウハウとしての「武」に形ばかり道をつけたものとか、どこか野蛮な気風がつきまとう在り方にも、問題があるのですが。
甲野先生その他一部の方々が追求されているように、本来の我々に自由な身体、自然な身体の動きを取り戻す(それは同時に、体と一体のこころを取り戻すことでもある。)ためのものとしても、武道には、その在り方を変化させていくことが求められている時代であると、感じています。
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