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らっくさんへ
私の上の息子はASで天才型の児童です。次男は努力型の広汎性の児童です。
同じ自分の子供ですが、タイプがはっきりと違うのです。
上の子は小1の時には、中1の計算問題が出来ました。しかし、学校では全然出来ないのです。国語も小6以上の漢字も読めていました。どちらも私はまったく教えていませんでしたが独学で興味のあるものについて調べ学習をしたものをすべて暗記してしまっていたようです。でも、学校ではまったく出来なかったのです。教室にもいることが出来ないでいました。まだ診断前でもあったのですが、教室にいること自体が苦痛だったようです。 聴覚過敏・感覚過敏に加えて、かなり奇異的行動のために毎日ひどいいじめにあっていました。
まったく練習していないのに、かなり早く走れます。教えていないのに、幼稚園の時に補助輪なしで自転車に乗れてしまいました。喘息でほとんど走っていないのに、リレーの選手に選ばれました。 そんな息子ですが、「一番でなければ自分が許せない」と神経過敏になっていました。私は何も一番を強要してはいないのですが、すべて一番じゃないと許せないのです。息子は学校で先生が「競争」について話したことをかなり勘違いをして「こだわり」をもってしまっていました。 見ていてかわいそうでした。
下の子は努力型で、一生懸命です。自分の理解が出来ないことは、パニックをおこしながらも最後までやり通します。
何度も何度も練習をしてやり遂げます。下の子は兄を見て、とっても羨ましがるのですが、努力をして褒められたり、頑張った子の気持ちを共有できることで、友達も出来ました。でも、兄のように「すぐに出来る」ことができない自分を卑下しているところがあるのです。兄と自分を比較してしまって自信を失くしています。
上の子はかなり天才的なところが多いのですが、コツさえつかめばぐんぐん伸びるのですが、一人ぼっちという孤独と戦っています。下の子が羨ましいと思っているのです。どこまで自分が頑張れば下の子のように「かわいがってもらえる」んだろうという勘違いもあります。何度違うと説明しても、感じてしまう孤独のようです。
お互いにないところを羨ましがっている子供たちでした。私も得意なところと、不得意なところがあって、主人が得意なところと共有することで、理解してきました。
天才型は突出するところもありますが、出来ないところもあって極端なことが多いようです。
私の子供はぞれぞれに悩むところや課題が違うので、私も頭を切り替えて接するのが大変ですが、それぞれに補えるものがあることを模索しています。
誰かと比べるのではなくて、自分自身が満足できることが出来たか。と基準を自分自身になってくれたら・・と願わずにはいられません。
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