アスペルガーの館の掲示板

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[#10812] 遊びについてご意見お聞かせください kaze 06/2/26(日) 18:10 [未読]

[#10868] Re:遊びについてご意見お聞かせください went 06/3/1(水) 0:35 [未読]
[#10872] Re:遊びについてご意見お聞かせください kaze 06/3/1(水) 10:42 [未読]
[#10873] Re:遊びについてご意見お聞かせください ケロロ 06/3/1(水) 11:39 [未読]
[#10888] 追加です。 ケロロ 06/3/2(木) 9:51 [未読]
[#10881] [投稿者削除] [未読]
[#10889] ほうきぼしさんへ・wentさんへ kaze 06/3/2(木) 13:22 [未読]

[#10868] Re:遊びについてご意見お聞かせください
 went メール  - 06/3/1(水) 0:35 -

引用なし
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   ▼kazeさん:

> そこで、私としては、ある程度の小さなグループからでも、ソーシャルスキルを自然と学ぶ場として、『放課後、遊ぶ事』ができたらなあと思っています。
>
> 皆さんでしたら、どんな事に気をつけて遊ばせれば良いと思われますか?
> また、どんな関係作りでしたら、楽しく遊べると思いますか?


 最初に断っておきますが、このスレ参加の皆さんを揶揄しようという意図は私には全くございません。「子供本人が『楽しいと思うこと』を優先されている」立派な皆さんだと、思っています。
 もしも、揶揄されているように感じられたなら、私の文章が下手だからです。

 子供時代の私にとっては、「『ソーシャルスキルを学ぶために、友達と遊ぶことは大切だ』ということを、声高に主張しないこと」が、最も気をつけてほしいことでした。
 他に、次のことにも気をつけてほしかったです。
・「楽しいと感じるツボは、人によっては大きくずれていることだってある」と認めること
・「『群れていれば安心』というそぶりを見せることができなければ、ソーシャルスキルを学び取れていないと、決め付ける」ことをされたら、(少なくともwentにとっては)辛いということ

 こんなことを書くのは、子供時代の私にとっては、「友達と一緒に遊んで、楽しいと思えないようではいけませんよ」「人の輪の中に入って、協調性や社会性を学ばないといけませんよ」という言葉はプレッシャーに思えたからです。
 実際、次のような言葉を、身近な大人からしょっちゅう浴びました。
 「友達との遊びを楽しめないのは、考え方や感じ方が他の人と違っている、変わり者だからだ。変わっているところをなおして普通になるよう、努力しなければいけない。他の人が喜ぶことを話したりしたりしなければいけない。他の人の気分を害するようなことがあってはならない。」

 「私が考えたり感じたりすることには、どうせロクなものなどない。私の本心が他の人にバレたら、バカにされたりひどい目にあうに決まっている。また、たった一度でも誰かの気分を害したら、その人は私を許さないだろう。」という思いにとらわれた状態で、私は他の子供と接していました。
 こんな状態では、「ソーシャルスキルを学ぶ余裕」なんかありません。ただただ、「人と接するのは疲れる。だけど、疲れると言うと怒られる。疲れると感じる私は、悪人だ。人間的に欠陥があるんだ。」という思いが強まるだけでした。

 私は、「人形遊び」とか「ゴムとび」とか「トランプ」とかいった、他の女の子が楽しんでいた遊びを楽しめない子供でした。図鑑とか子供向け科学雑誌(特に組み立て付録)の大好きな子供でした。
 他の女の子にとっては、図鑑や子供向け科学雑誌は、退屈な本とうつっていたらしいです。「一生懸命がんばって読む本」だったらしいです。
 私は、いろいろな人(特に大人)から、次のことを言われていました。
 「爬虫類や両生類に触っても平気な女の子なんて、おかしい。そのようなものを見たら、「キャー」とか言って逃げ惑う女の子の方がまともだ。」
 「電気器具の配線とか機械いじりに興味を持つ女の子なんて、おかしいい。そういうことは面倒なことだと、思うはずだ。」
 こうして私は、「楽しいという感情が、まともに湧かない子供なんだ」という罪悪感を持つようになりました。

 現在私は、カラオケ・ボウリング・スキーを楽しいと思えます。「20代後半になって、一緒にいて楽しいと思う人達といっしょにやる」まで、それらを「楽しいことだと」強要する人に出会わなかったのです。
 そのことが、楽しめる理由だと思っています。
 
 ソーシャルスキルという言葉、私にとっては謎の言葉です。
 もっとも、私が子供の頃はそのような言葉は使われていなくて、「協調性・社会性」という言葉が使われていましたが。

 次のようなことが、私にとっては謎のことに思えるのです。
・ソーシャルスキルというけれど、一体何なのか?
・(大人たちにとって)子供に身につけてもらいたいソーシャルスキルとは、一体どういう内容なのか?
・そもそも、ソーシャルスキルというものは、友達と遊んでいれば極自然に身に付くものなのか?
・ソーシャルスキルが訓練によって身に付くものならば、どうして「いじめの加害者」に適用しようとしないんだ? いじめの被害者に対して「いじめられているから、ソーシャルスキル訓練をさせたい」という話は時々聞くのだが。

 ソーシャルスキルに関して具体像を示さずに、協調性・社会性という、圧迫感を与える表現をされるのは、ソーシャルスキルが足りない(と思い込まされた)子供にとっては、対応策が見つかりにくいものとうつるかもしれません。
 意地悪な見方をすれば、ソーシャルスキルを持った(ということにされている)人にとっては、「スキルアップのための策が見つかりにくい」ということは都合のよいことかもしれません。
 何でもかんでも「協調性・社会性・ソーシャルスキル」という言葉で片付けようとしている(と私が思った)人に対して、次のようなことを思ってしまうのです。 
「『協調性・社会性・ソーシャルスキル』という言葉を使うのなら、時と場合に応じて、その言葉を違う言葉に置き換えて説明してほしい。」と。

[#10872] Re:遊びについてご意見お聞かせください
 kaze ホームページ  - 06/3/1(水) 10:42 -

引用なし
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   ▼wentさんへ

 はじめまして。
 WENTさんの思う事、とてもよく分かります。
 私をはじめ、我が家はアスペファミリーで、協調性や社会性のみを強要されたり、強調されると大変しんどい立場に陥ります。

 私が、このレスを立てたのは、強引にソーシャルスキルを学ばせたいと思ったからではなく、息子本人に人と関わりあいたいという興味が芽生えてきて、それに親としてできることはないか?と考えたからです。

 息子も、友達がほしいと思う反面、一人で遊ぶ事が楽しいと思う場面がありますから、それはそれでいいと思っています。
 
 問題は、本人が誰かと関わりたいと思ったときに、そういう環境がないというのはとても寂しい事です。
 人と関わるチャンスを失うことになるからです。


> 最初に断っておきますが、このスレ参加の皆さんを揶揄しようという意図は私には全くございません。「子供本人が『楽しいと思うこと』を優先されている」立派な皆さんだと、思っています。

 大丈夫ですよ。wentさんの意見も一理ありますし、理解できます。
 というより、私の中にもそういう考えもあります。

> 子供時代の私にとっては、「『ソーシャルスキルを学ぶために、友達と遊ぶことは大切だ』ということを、声高に主張しないこと」が、最も気をつけてほしいことでした。
> 他に、次のことにも気をつけてほしかったです。
>・「楽しいと感じるツボは、人によっては大きくずれていることだってある」と認めること
>・「『群れていれば安心』というそぶりを見せることができなければ、ソーシャルスキルを学び取れていないと、決め付ける」ことをされたら、(少なくともwentにとっては)辛いということ
>
> こんなことを書くのは、子供時代の私にとっては、「友達と一緒に遊んで、楽しいと思えないようではいけませんよ」「人の輪の中に入って、協調性や社会性を学ばないといけませんよ」という言葉はプレッシャーに思えたからです。
> 実際、次のような言葉を、身近な大人からしょっちゅう浴びました。
> 「友達との遊びを楽しめないのは、考え方や感じ方が他の人と違っている、変わり者だからだ。変わっているところをなおして普通になるよう、努力しなければいけない。他の人が喜ぶことを話したりしたりしなければいけない。他の人の気分を害するようなことがあってはならない。」

 貴重な意見だと思っています。
 『こうあるべき』というのは、結局、定型発達者スタンダードか、古い日本の教育慣習だと思っています。
 そのものに、私も随分と苦しめられてきました。
 通信簿の『協調性』の欄に『△』が付くたび、落ち込んだものです。

> 「私が考えたり感じたりすることには、どうせロクなものなどない。私の本心が他の人にバレたら、バカにされたりひどい目にあうに決まっている。また、たった一度でも誰かの気分を害したら、その人は私を許さないだろう。」という思いにとらわれた状態で、私は他の子供と接していました。
> こんな状態では、「ソーシャルスキルを学ぶ余裕」なんかありません。ただただ、「人と接するのは疲れる。だけど、疲れると言うと怒られる。疲れると感じる私は、悪人だ。人間的に欠陥があるんだ。」という思いが強まるだけでした。

 私は、自分がwentさんと同じ様に苦しんだので、二人の子供たちには、ソーシャルスキルを学ぶ余裕のなくなる、人間関係の構築は良しとするつもりはありません。
 どうしたら、本人にとって『楽しく』人の中で暮らしていけるかなと考えたいのです。
 どんな事に気をつけたら良いか・・・皆さんに聞く事ができたら良いなぁと思って書き込みしたので、書き込みしてくださって嬉しいです。

> 私は、「人形遊び」とか「ゴムとび」とか「トランプ」とかいった、他の女の子が楽しんでいた遊びを楽しめない子供でした。図鑑とか子供向け科学雑誌(特に組み立て付録)の大好きな子供でした。
> 他の女の子にとっては、図鑑や子供向け科学雑誌は、退屈な本とうつっていたらしいです。「一生懸命がんばって読む本」だったらしいです。
> 私は、いろいろな人(特に大人)から、次のことを言われていました。
> 「爬虫類や両生類に触っても平気な女の子なんて、おかしい。そのようなものを見たら、「キャー」とか言って逃げ惑う女の子の方がまともだ。」
> 「電気器具の配線とか機械いじりに興味を持つ女の子なんて、おかしいい。そういうことは面倒なことだと、思うはずだ。」
> こうして私は、「楽しいという感情が、まともに湧かない子供なんだ」という罪悪感を持つようになりました。

 私も、機械いじり好きでしたよ。
 家の時計やおもちゃをすぐ分解するので、こっぴどく怒られましたけど。
 多動もあったので、外で遊ぶ事が多く、半ズボンでショートカット、自分のことも『僕』と呼んでいたので、周りからは『女の子らしくない』とのレッテルは沢山貼られましたが、その頃の私は楽しかったので、まあいいかと思っています。
 
> 現在私は、カラオケ・ボウリング・スキーを楽しいと思えます。「20代後半になって、一緒にいて楽しいと思う人達といっしょにやる」まで、それらを「楽しいことだと」強要する人に出会わなかったのです。
> そのことが、楽しめる理由だと思っています。

 子供たちにもwentさんの様に、楽しめるものが見つかると良いなと思います。
 自閉症スペクトラムの子供たちは、余暇を過ごす方法を見つけることが難しい子もいます。
 だから、wentさんのような方は、すごいなと思いますよ。
> 
> ソーシャルスキルという言葉、私にとっては謎の言葉です。
> もっとも、私が子供の頃はそのような言葉は使われていなくて、「協調性・社会性」という言葉が使われていましたが。
>
> 次のようなことが、私にとっては謎のことに思えるのです。
>・ソーシャルスキルというけれど、一体何なのか?
>・(大人たちにとって)子供に身につけてもらいたいソーシャルスキルとは、一体どういう内容なのか?
>・そもそも、ソーシャルスキルというものは、友達と遊んでいれば極自然に身に付くものなのか?
>・ソーシャルスキルが訓練によって身に付くものならば、どうして「いじめの加害者」に適用しようとしないんだ? いじめの被害者に対して「いじめられているから、ソーシャルスキル訓練をさせたい」という話は時々聞くのだが。
>
 これは自論ですが、私のとっての『ソーシャルスキル』とは、人とこう付き合うべき、人としてこうあるべきというのもではなく、
 相手を思いやる事が出来たり、一緒にいたいと思う相手と時間や楽しさを共有するときに、人間関係が潤滑に行く程度のほんの少しの譲り合いを『お互い』が持ち寄れる事だと思っています。
 だから、『訓練』などでは身に付かないと思いますし、むしろ、訓練で知ることができるのは『傾向と対策』のようなものだと思っています。
 傾向と対策自体も、その子本人が、手段として使うか使わないかは別として、持っていてもいいかな〜と私は思っています。
 私自身は、そういう傾向と対策を、誰も教えてくれなかったから、出来なかったんだよという思いを抱いた事もあったので・・・

> ソーシャルスキルに関して具体像を示さずに、協調性・社会性という、圧迫感を与える表現をされるのは、ソーシャルスキルが足りない(と思い込まされた)子供にとっては、対応策が見つかりにくいものとうつるかもしれません。
> 意地悪な見方をすれば、ソーシャルスキルを持った(ということにされている)人にとっては、「スキルアップのための策が見つかりにくい」ということは都合のよいことかもしれません。
> 何でもかんでも「協調性・社会性・ソーシャルスキル」という言葉で片付けようとしている(と私が思った)人に対して、次のようなことを思ってしまうのです。 
>「『協調性・社会性・ソーシャルスキル』という言葉を使うのなら、時と場合に応じて、その言葉を違う言葉に置き換えて説明してほしい。」と。

 そうですね。
 子供に『ソーシャルスキル』と言ったところでわかるはずもないですものね。
 私も、出来ればそれが本人が人の中にいて(本人が望む範囲で)、具体的に教えてやれたらなぁと思っています。
 ご意見、肝に銘じて、これからの私に反映させますね。
 ありがとうございます。

[#10873] Re:遊びについてご意見お聞かせください
 ケロロ ホームページ  - 06/3/1(水) 11:39 -

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   ▼wentさん:

> こんなことを書くのは、子供時代の私にとっては、「友達と一緒に遊んで、楽しいと思えないようではいけませんよ」「人の輪の中に入って、協調性や社会性を学ばないといけませんよ」という言葉はプレッシャーに思えたからです。

私もそうでした。よく言われてました。プレッシャーでした。
そして、みんなの期待通りにはできませんでした。

友達には、ああしなさい、こうしなさいといわれても、
それはどういう状況下で有効なのか判断できず、
理解できないし、疲れてしまって黙り込んでいました。


> 私は、「人形遊び」とか「ゴムとび」とか「トランプ」とかいった、他の女の子が楽しんでいた遊びを楽しめない子供でした。図鑑とか子供向け科学雑誌(特に組み立て付録)の大好きな子供でした。
> 私は、いろいろな人(特に大人)から、次のことを言われていました。
> 「爬虫類や両生類に触っても平気な女の子なんて、おかしい。そのようなものを見たら、「キャー」とか言って逃げ惑う女の子の方がまともだ。」
> 「電気器具の配線とか機械いじりに興味を持つ女の子なんて、おかしいい。そういうことは面倒なことだと、思うはずだ。」

「人形遊び」は私もできませんでした。
「おままごと」とか、「おまわりさんとどろぼうごっこ」なんかも
とても退屈でした。

虫は大好きでした。
ミミズの手触りが好きで、女の子や、たまに男の子も、
キャーキャー騒ぐのが面白くて、つかんで追いかけてましたね。
農業地帯で育ったので、まわりに虫がいて当たり前で、
そんなに私への風当たりはなかったです。


> 現在私は、カラオケ・ボウリング・スキーを楽しいと思えます。「20代後半になって、一緒にいて楽しいと思う人達といっしょにやる」まで、それらを「楽しいことだと」強要する人に出会わなかったのです。
> そのことが、楽しめる理由だと思っています。

同意です。わたしもそうでした。

  
>「『協調性・社会性・ソーシャルスキル』という言葉を使うのなら、時と場合に応じて、その言葉を違う言葉に置き換えて説明してほしい。」と。

私が考えるに、ソーシャルスキルとは、小学生だったらば、
・あいさつする。
・人を傷つけたら、謝る。
・不当な扱いを受けたら、主張する。
・人の話を聞く。
・自分の意見を言う。
・できる範囲で雰囲気を読んでみる。
くらいが全般的なものでしょうか。あと、詳細は
学校では、休み時間では、家庭では、というように、
分かりやすく提示してもらえるといいと思います。

自然にそういう行動ができるようになるとは思えないので、
定型の子どもに協力してもらって、
最初は真似からでもいいので、パターンを認識してもらう。

そのために、教室に通って、一緒に活動する。

そのためには、協力者にもスキルがいるんじゃないかと思います。
雰囲気を口で説明できる子ども。
何故相手が怒っているのか、悲しんでいるのか、
どういう行動が今要求されているのか、
説明できる子どもが必要だなあと、私は思っています。
大人でもいいかもしれないけど、
子どもの気持ちは、やっぱり子どもじゃないと読みきれない。

それと、お母さん方に、
本人が楽しそうじゃなくても、実は楽しい場合もあるし、
本人が楽しそうでも、それは仮面の場合もある。
ということも、頭のどこかに置いてもらえるといいかなと思います。

[#10881] [投稿者削除]
   - -

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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(10/6/11(金) 16:52)

[#10888] 追加です。
 ケロロ ホームページ  - 06/3/2(木) 9:51 -

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   付け加えです。
・親切にされたり、物をもらったりしたら、お礼を言う。
これもソーシャルスキルだと思います。

それと、
教室に通うことは、プラスの面が多いとは思いますが。
その教室の雰囲気や、親の考え方によっては、
子どもの心に非常なストレスをかけます。

その時は、「できないお前が悪い」と責めることや
無理にその状態を続けるのは、やめてほしいです。
精神的に本当につらいんです。
wentさんのコメントを読んで、そう思うケロロでした。

[#10889] ほうきぼしさんへ・wentさんへ
 kaze ホームページ  - 06/3/2(木) 13:22 -

引用なし
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    みなさん、少なからず、どこかしら、似たような『趣味』を持っていたんだなと何だか、ほほえましく読ませていただきました。

>> 「私が考えたり感じたりすることには、どうせロクなものなどない。私の本心が他の人にバレたら、バカにされたりひどい目にあうに決まっている。また、たった一度でも誰かの気分を害したら、その人は私を許さないだろう。」という思いにとらわれた状態で、私は他の子供と接していました。
>
>ここ、私のことかと思いました。
>これは、小さい頃だけじゃなく、20歳越えてもあった思いです。
>その反面、他人が許せなかったりして・・・。
>
>> こうして私は、「楽しいという感情が、まともに湧かない子供なんだ」という罪悪感を持つようになりました。
>
>私も同じ思いがありました。
>私は育った家庭の、他の理由から「楽しくても辛くても、感情をだすこと自体が罪悪」と考えていました。
>私が解放されたのは、結婚して家を離れてからです。
>家から離れたら、感情を出す事ができました。
>実家に帰ると、今でも感情をだすのは嫌です。

 自分が立てたお題とはちがいますが、ちょっと自論を書いていいですか?
 そもそも、記憶という部分において、自閉症スペクトラムまたは、それに似た人たちは長期的な記憶を持っていますよね。
 それが、良い思い出だったら、きっとそれを思い出して、心地よくなれるのだと思います。
 ところが、こういう、私も含めた人たちは、日本古来の『こうあるべき』という教育慣習や定型発達者スタンダードに縛られ、肯定感が持てなかったり、自己評価が低かったりで、思い出す事が、それに付随してしまうのではないでしょうか?
 私も、そういう思いを抱いて生きてきました。
 先日、ある方から、一冊の本をお借りしました。

 『気持ちの本』森田ゆり 作 童話社出版 という本です。
 自分の気持ちを、オーバーホールするためにはとても良い本に出会ったと思いました。
 人が許せなくなってしまったり、辛くなってしまったりするとき、少しは気持ちが楽になるかもしれません。
 
>私は群れるのはとても嫌いです。
>友達の人数の多さが、その人の価値とかも思っていません。
>子供のとき、私には全くと言っていいほど「仲のいい友達」っていなかったし、下校後だれかと遊ぶということもほとんどなく家にいたのですけど、親はそれに気がついていなかったんです。
>だから、友達がいないと心配された事もなかったし、「遊びに行かないの?」と問われた事もなかった。
>そこは、今思えば私にとって、よいことだったように思います。

 私も一匹狼でした。今もかも・・・
 でも、考え方を変えたら、群れなくても生きていける強い人間だと私は思っています。
 でも、それが全てにおいてOKではないんだという事は、今はわかっています。

>うちの息子は、友達が欲しい、友達の中にいたいタイプです。
>私とは違う。
>「なんで傷つくのに人と関わりあうの?」っていうのが私には不思議で仕方がない。
>だから、もちろん「お友達と遊ばないの?」なんて言ったこともなかったりします。
>
>ただ、私にはいらなかったものを、息子は欲しがっている。
>お友達というものとかかわりたいと切望していて、でもうまく関われない事で困っている。
>それならば、困ってる事を手助けしようかなと思っています。
>で、通級に通わせてます。

 ほうきぼしさん、素敵なお母さんだなと思います。
 人は、自分の価値観で、どうしても物事を測ります。
 それを、子供の価値観に立って考える事はとてもすごい事ですよね。
 わたしもそうありたいと思います。

>ソーシャルスキル。
>自分で使っててもわからなかったりするんですよね。
>そして、発達障害の側だけが学べばいいとは全く思いません。
>また、一人一人に合った「訓練」が必要と思っています。
>
>>・ソーシャルスキルが訓練によって身に付くものならば、どうして「いじめの加害者」に適用しようとしないんだ? いじめの被害者に対して「いじめられているから、ソーシャルスキル訓練をさせたい」という話は時々聞くのだが。
>
>私もそう思います。
>一方的なものではなく、関わりあいですから。
>相手があることですから。
>こちら側だけではなく、両方が「訓練」すべきものです。
>「訓練」・・・「勉強」・・?
>ん・・・橋渡し的なもの・・・。
>
>>一緒にいて楽しいと思う人達
>
>私は心からそう思える人たちにであったのは30過ぎてからです。
>だから、子供の社会性とかそういうものに関しては、「いつか変わる時がくるよ、大丈夫。」って楽観してるところもあるんです。
>ただ、私自身、孤立型だから、じゃあ辛くなかったかといえばやはりそんなことはないし。
>息子の場合は、今、もう辛くなってる。
>「通訳」の必要性を感じます。
>で、ソーシャルスキルトレーニングの一環として、通級に通わせてる次第です。

 ソーシャルスキルって実は、この子らだけでなく、社会全体的にそのレベルが落ちてきているんだと思います。
 例えば、世の中にはかつて、『見えていても見えていない優しさ』『わかっていてもわからない振りをする優しさ』というような思いやりがあったと思うのです。
 でも、それも、今は失われつつある様に思えます。
 また、こんなのもありだよ。そういう人がいてもいいじゃないというような『大らかさ』が失われつつあるのもソーシャルスキルが落ちてきているのではないかと感じます。
 いじめに関しても、実は虐められる方のスキルを上げるのではなく、虐める方のスキルの形も変えていかなければ、片手落ちだと思います。

 ソーシャルスキルという難しい言葉に捉われずに、何が大切かを考えていければ良いですね。
 ちょっと、脱線でした。

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