アスペルガーの館の掲示板

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[#10812] 遊びについてご意見お聞かせください kaze 06/2/26(日) 18:10 [未読]

[#10889] ほうきぼしさんへ・wentさんへ kaze 06/3/2(木) 13:22 [未読]

[#10889] ほうきぼしさんへ・wentさんへ
 kaze ホームページ  - 06/3/2(木) 13:22 -

引用なし
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    みなさん、少なからず、どこかしら、似たような『趣味』を持っていたんだなと何だか、ほほえましく読ませていただきました。

>> 「私が考えたり感じたりすることには、どうせロクなものなどない。私の本心が他の人にバレたら、バカにされたりひどい目にあうに決まっている。また、たった一度でも誰かの気分を害したら、その人は私を許さないだろう。」という思いにとらわれた状態で、私は他の子供と接していました。
>
>ここ、私のことかと思いました。
>これは、小さい頃だけじゃなく、20歳越えてもあった思いです。
>その反面、他人が許せなかったりして・・・。
>
>> こうして私は、「楽しいという感情が、まともに湧かない子供なんだ」という罪悪感を持つようになりました。
>
>私も同じ思いがありました。
>私は育った家庭の、他の理由から「楽しくても辛くても、感情をだすこと自体が罪悪」と考えていました。
>私が解放されたのは、結婚して家を離れてからです。
>家から離れたら、感情を出す事ができました。
>実家に帰ると、今でも感情をだすのは嫌です。

 自分が立てたお題とはちがいますが、ちょっと自論を書いていいですか?
 そもそも、記憶という部分において、自閉症スペクトラムまたは、それに似た人たちは長期的な記憶を持っていますよね。
 それが、良い思い出だったら、きっとそれを思い出して、心地よくなれるのだと思います。
 ところが、こういう、私も含めた人たちは、日本古来の『こうあるべき』という教育慣習や定型発達者スタンダードに縛られ、肯定感が持てなかったり、自己評価が低かったりで、思い出す事が、それに付随してしまうのではないでしょうか?
 私も、そういう思いを抱いて生きてきました。
 先日、ある方から、一冊の本をお借りしました。

 『気持ちの本』森田ゆり 作 童話社出版 という本です。
 自分の気持ちを、オーバーホールするためにはとても良い本に出会ったと思いました。
 人が許せなくなってしまったり、辛くなってしまったりするとき、少しは気持ちが楽になるかもしれません。
 
>私は群れるのはとても嫌いです。
>友達の人数の多さが、その人の価値とかも思っていません。
>子供のとき、私には全くと言っていいほど「仲のいい友達」っていなかったし、下校後だれかと遊ぶということもほとんどなく家にいたのですけど、親はそれに気がついていなかったんです。
>だから、友達がいないと心配された事もなかったし、「遊びに行かないの?」と問われた事もなかった。
>そこは、今思えば私にとって、よいことだったように思います。

 私も一匹狼でした。今もかも・・・
 でも、考え方を変えたら、群れなくても生きていける強い人間だと私は思っています。
 でも、それが全てにおいてOKではないんだという事は、今はわかっています。

>うちの息子は、友達が欲しい、友達の中にいたいタイプです。
>私とは違う。
>「なんで傷つくのに人と関わりあうの?」っていうのが私には不思議で仕方がない。
>だから、もちろん「お友達と遊ばないの?」なんて言ったこともなかったりします。
>
>ただ、私にはいらなかったものを、息子は欲しがっている。
>お友達というものとかかわりたいと切望していて、でもうまく関われない事で困っている。
>それならば、困ってる事を手助けしようかなと思っています。
>で、通級に通わせてます。

 ほうきぼしさん、素敵なお母さんだなと思います。
 人は、自分の価値観で、どうしても物事を測ります。
 それを、子供の価値観に立って考える事はとてもすごい事ですよね。
 わたしもそうありたいと思います。

>ソーシャルスキル。
>自分で使っててもわからなかったりするんですよね。
>そして、発達障害の側だけが学べばいいとは全く思いません。
>また、一人一人に合った「訓練」が必要と思っています。
>
>>・ソーシャルスキルが訓練によって身に付くものならば、どうして「いじめの加害者」に適用しようとしないんだ? いじめの被害者に対して「いじめられているから、ソーシャルスキル訓練をさせたい」という話は時々聞くのだが。
>
>私もそう思います。
>一方的なものではなく、関わりあいですから。
>相手があることですから。
>こちら側だけではなく、両方が「訓練」すべきものです。
>「訓練」・・・「勉強」・・?
>ん・・・橋渡し的なもの・・・。
>
>>一緒にいて楽しいと思う人達
>
>私は心からそう思える人たちにであったのは30過ぎてからです。
>だから、子供の社会性とかそういうものに関しては、「いつか変わる時がくるよ、大丈夫。」って楽観してるところもあるんです。
>ただ、私自身、孤立型だから、じゃあ辛くなかったかといえばやはりそんなことはないし。
>息子の場合は、今、もう辛くなってる。
>「通訳」の必要性を感じます。
>で、ソーシャルスキルトレーニングの一環として、通級に通わせてる次第です。

 ソーシャルスキルって実は、この子らだけでなく、社会全体的にそのレベルが落ちてきているんだと思います。
 例えば、世の中にはかつて、『見えていても見えていない優しさ』『わかっていてもわからない振りをする優しさ』というような思いやりがあったと思うのです。
 でも、それも、今は失われつつある様に思えます。
 また、こんなのもありだよ。そういう人がいてもいいじゃないというような『大らかさ』が失われつつあるのもソーシャルスキルが落ちてきているのではないかと感じます。
 いじめに関しても、実は虐められる方のスキルを上げるのではなく、虐める方のスキルの形も変えていかなければ、片手落ちだと思います。

 ソーシャルスキルという難しい言葉に捉われずに、何が大切かを考えていければ良いですね。
 ちょっと、脱線でした。

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