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▼Cyperusさん:
>最近、私はよくこんなことを考え込みます。
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>『AS者である自分は、世の中に対して、どのような《存在意義》をもっているのかな?』
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>もう私は、今年で34歳になります。
> でも、他の大部分の同世代は、『社会人』・『サラリーマン』などという世間の荒波にもまれているにもかかわらず、私は『福祉就労』という『静かな池』の魚でいることしかできません。
>
> 車を運転できるような注意力もなく、うつになれば身体の節々がうずき、最近は少なくなったものの『パニック』になれば激しく取り乱してしまいます。人の多い環境へ行けば、『泥のように』げんなりしてしまいます。
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> 34歳という年齢を人に告げると、『まだ若いね(^_^)』といわれることが多いのですが、私の脳裏には、『生き過ぎたかな…』『こんな自分には、10年以内に、孤独死という罰が下るに違いない(X_X)』という悲観的なことばかり浮かんでしまいます。
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> とはいっても、この世に『生』を受けたということは、神様は私に何らかの『存在意義』をお求めになったのでしょう。他の発達障害の人も、同様なのだと思います。
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>そこで、みなさんに質問です!
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>あなたが思うところ、『発達障害者』の『存在意義』って、何でしょうか?
>
>とりとめもない質問ですいません…
>
>
>
そもそも存在意義なんてものがないと思います。
生きていることなど誰に対しても意味がないのです。
だから自分がおもうとおり生きるしかないと私は考えています。
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