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▼Cyperusさん:
やっと、まともに本レスいきます。
はじめまして でしょうか?
>『AS者である自分は、世の中に対して、どのような《存在意義》をもっているのかな?』
ベタな言い方をしますと、発達障害者は、過去に偉人を何人も産み出してきました。
歴史をつくってきたのは、発達障害圏の方達です。
ただ、これは事実であっても、現実問題「才能のある一部の人達の話」
たいていの発達障害圏の人間は、単なる不器用もので終わってしまいかねない。
ただね。人生は最初に意義があって歩むものではなく、自分でつくるもの。
私は中学の時こう考えました。
「人間は一度は死ぬのに、どうして生まれてくるのだろう?なんのために生まれてくるのだろう。」
オギャーと生まれて、ご飯食べて、寝て、毎日惰性で過ごして、いつのまにか寿命がきて。
なんて、意味のない人生。そんなんなら、いっそ、死んだ方がよくないか?
私一人死んだって、歴史はなにも変わらないんだし。
そのときに、読んだ本に、
「なんのために生まれてきたのか?ではなく、生きるためになにをするのか?を考えよう」
と、書かれていて、これはいまだに心に刺さっています。
自分の存在意義は、自分で見いだすもの。
そして、答えは結果ではないんです。過程にあるんです。
たとえば、あのかの有名なIT産業社長は、年収数百億単位で稼いで、IT界に革命を起こしましたが、その過程を大事にしなかったため現在どうなりました?
中身のない過程で、業績だけ結果をあげてもなんにもならないんです。
また、逆の視点からいえば、結果的に鉄格子の中でも、彼がIT界において残した業績は大きい。結果はどうであれ、それだけの仕事をしてきた とも言えます。
1日1日の積み重ねでしょうね。
ちなみに私は、漫画や小説でプロになり、華々しく活動する姿が夢でゴールだと思ってました。
ところが、才能が足りず、箸にも棒にもかからない。
では、私が、漫画や小説をやってきたことは無駄でしょうか?
無駄にはなってないんです。それは、いまでも私を支えている力になっています。
たとえば、私はよく、主人とのトラブルの愚痴をここに書きますが、では私の結婚生活は失敗だったのか?というと、私は違うと思ってます。(いままで、離婚をすすめられてきたのではありますが)
これも、この間の苦労やつらい思いは、私にいろんなことを勉強させてくれました。
なので、少しも無駄にはなってないと自分で思っています。
(なんだかんだ言って、可愛い二人の子供がおりますし)
たとえば、その二人の子供達ですが、二人とも自閉です。
子供が障害児で、嘆く親もいます。でも、私は自閉症の世界を教えてくれた子供達に感謝してます。
社会性と対人の障害である自閉症についていろいろ調べることは、私に社会性とはなにか?対人とはどうすべきか?を教えてくれました。
なにも、無駄にはなっていないのです。
答えは、「結果」ではないのですよ。
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