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▼Chiquititaさん:
>御家族の方も無理解、という状況は、やはりほとんどが「同居の人間が障害者だなんて信じたくない」というのが本音なのでしょうかね、皆さん?
「未診断だが、自分はASに近いと確信している」wentです。
差別的な表現になりますが、私の家族の場合は、「障害者なんて信じたくない」というよりも「人並みでなければ不幸になるに決まっている。障害者だと認めるのは、人並みになれないと認めるのと同じだ。」というのが本音なのだと思います。
「子供の能力はほとんど全員が平等であり、大人が正しく導き本人が努力すれば、能力を人並みに伸ばして人並みに発揮できる。」
「人さまと同じことができるんだと思われなければいけない。人さまを出し抜くように努力なんかしなくてもいい。普通にやっていれば人並みにできるはずだし、普通にやっていけるはずだ。」
「世間様の中で、人並みに普通にやっていたら、学校や会社や地域社会から守ってもらえるはずだ。普通にやっていたら、その場にいるだけでそれなりのものがもらえるはずだ。」
このような物語を、私の家族は鵜呑みにしているのだと思います。そして、このような物語から、次のような要求をしてくるようになるのだと思います。
「みんな(と私の家族が思っている人たち)が一生懸命に一斉にやっていることに対して、ひたすら同調していかなければならない。ほんの少しでもそこから外れることは許さない。障害者と認めるのは、そこから外れることを黙認することにつながる。」
前に述べた物語を守るような人に対して、「私は、こういうことが上手くできなくて困っている。だから、こういうふうに工夫をしようと思っている。」などと言おうものなら、
「どうして、人さまと同じ事をしようとしないのか? わがままを言うのはやめろ。」
などとしか言われないのではないかと思います。
それだけではありません。前に述べた物語のもとで子供時代を過ごし、大人になってから物語が破綻した人も、おそらくいると思います(少なくとも私はそうです)。
そういう人に対しては、次のような言葉が浴びせられると思われます(少なくとも私はそうです)。
「あなたがこれまで、世間様の中で人並みになるよう普通に振舞うよう努力しなかったから、そういうことになったんでしょ。私は、人さまを出し抜けなんて一言も言ってないわよ。普通にしていたら、こんな問題が起こるわけがないでしょ。」
私が未診断であるのは、幼児期のことが分かるものが全然なく、家族や教師の協力も得られそうにないからです。
私には記憶がないのですが、「私は幼児期に自閉症が疑われ、児童相談所に何度か行かされた」ことがあるそうです。そして最終的に自閉症ではないと言われたそうです。これは、35年ほど前のことと思われます。つまり、「カナータイプの自閉症ではない」という意味だと思われます。
また、私は小学校1〜3年のとき、「夏休みのある一日に親と私が呼び出され、変なテスト(今思うに、知能テスト)を私が受けさせられ、その後、専門家らしい人と親と私とで面談が行われる」ということをされていました。
このことを理由として、「自閉症ではないと、子供の頃に言われたんだ。だから、おまえは普通なんだ。普通に振舞えるはずなんだ。病気になりたがるのはやめろ。」と言うのです。
「障害者という意識」よりも「人並み意識」のほうが、無理解の裏に隠れているのだと思います。
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