|
▼ユニコーンさん:
こんにちわ。
全ての人に感情があるらしいと気づいてから、まだ、7.8年ぐらいしか経っていません。で、なんで、私にはわからなかったんだろうと考えているので、話としては、逆の方向からなんだと思います。
発想の方向が逆なので、言葉によっては矛盾点があるように聞こえるかもしれません。その部分は、聞いてください。
>すいません。能面のような顔、というのは笑っていても、怒っていても
>同じのっぺりした顔に見えるということでしょうか?
>よく、アスペの方は人の表情が読めない、といいますが、それは人間が
>笑っていても、怒っていたり悲しんでいる時もある。逆に怒り顔でも
>喜んでいる時もある、その機微が読み取れないんだと思っていました。
元々、人には喜怒哀楽が誰にでもあってそれを表情で表している、などと考えたことも無かったのです。周りの人は教えてくれていたと思うのですが、人に自然に備わっていることを前提としているので、私には伝わりませんでした。
そして、初めて知って、見てみようと思ったわけです。
多分、凝視していたと思います。
能面にはいろいろな表情のお面あるように、その人固有のお面をかぶっているのはわかります。でも、その信号が何を表しているのかは、わかりません。
短い文なので、能面と一言で書きましたが、近くにいる人の面と、それ以外の人の面では、私の中で違います。
近くにいる人は、次々と能面を変えているのはわかる。でも、信号がわからない。それ以外の人は、正にのっぺりしたお面が視界の片隅に入るだけです。
でも、これは感情があるらしいと知ったから、どうしてだろうと思ったのであって、自然に出てきたものではありません。思い出したときにしか出来ないし、疲れていると、忘れてしまうのでなく、発想自体がありません。
表現が難しいですが、人の顔が能面にしか見えなくて表情が読み取れない、のではなく、人が感情を顔に表しているなど考えてみたことも無い、で、あらわしているから見なさい、と言われて、見て見たり思い出してみても、記憶に残っていない、残像しかない、見るという能力がない、
それをあえて言葉にするなら、能面のようだ。です。
>私は、程度の差はあれ、人はみな同じような共感能力を持っているのだ、
>と思っていました。息子が生まれるまでは。でも、息子と接していて
>極端に共感能力の低い人間もいるのだ、と知りました。
共感能力が低いと言うと、苦手とか困難とかそういう発想になりますが、私の自分の感覚では「無い」です。人に感情があり共感しようとしていると知ったのが、20代半ばでした。それも、そうらしい、という想像です。
想像で、共感しているのかもしれないという前提で行動するので、とんちんかんだったりするのではないかと思っています。
>こちらがどれほど激しい感情を表しても、無表情な息子。不思議でした。
>これは、こしあんだんごさんの言われるような感覚「人の顔が
>能面に見える」に関係があるんでしょうか?
あくまでも、「私」ですが。
母親に感情があることを知ったのは、30歳を目前にしたときでした。
それは、あるのかもしれないけどわからない、ではなくて、
無いと決まっていたものが、突然、もやの中から現れたような感じがしました。
よく心の理論の獲得と言いますが、私は20代後半だったように感じます。
その時が、非常に苦しかったです。
>こしあんだんごさんもずいぶん大変な思いをなさってきたとお察しします。
>人の気持ちがわからない障害って、辛い障害ですね・・・
もし、能力が少しあって、少しの能力を最大限使おうと思ったら苦悩なのかもしれませんが、能力が無いと、正直、すぐ忘れてしまいます。
怒られたとき、しつこい人が現れたとき、思い出して、うんうん、言ってますが、それ以外は、自分の好きなことを自分の中だけでやって自分ひとりで喜んでいるので、大変だと言われると、どうかな、と思います。
>ぶしつけだとは思いますが、人の顔が能面に見えるということについて
>もう少しうかがいたいので、投稿させていただきました。
>この投稿で、不快な思いをされたら申し訳ありません。
いえ、言う機会を与えていただいて、感謝しています。
全ての人に感情があることを知って、30代も過ぎた頃、嬉々として、
「最近、私知ったんですよ。」と自慢をしたら、
「今まで、それで、よく生きてこれましたね。」と言われて、
もしかして、ほとんどの人は、それを知っているのか、と驚愕し、
あーでもない、こーでもない、と考えている日々です。
|
|