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コメントありがとうございます。(^o^)/
▼ジョンさん:
>本当にそうですよね。これからの「成長」ととらえなければ、
>我々には、未来がないですから。同感です。
実際に未来があるかどうかは、環境によるところも大きいとは思いますが、私は明らかに積極奇異タイプなので、「発達障害=言い訳」と考える人の多い環境であれば、たとえ徒労に終わったにせよ、100%は無理でも50%、それが無理でも10%でも成果が出れば努力の余地があると考えています。
▼たもっちさん:
>私の場合は、社会生活上、仕事(ものづくりや接客、特殊技術、事務等)に於いても遊びに於いても対人コミュニティーの形成能力が必要不可欠とされていてからです。各々が抱えている「障害」というものが「個性」で捉えてくれれば非常に嬉しく、円満な社会生活が営める事が出来るでしょうが、現実はそれが理想通りに上手く行かないことが多いからです。
まずそれらが理想どおり進まない理由としては、人間である以上、自分は他の人間には100%の感情移入が出来ないために、定型発達者が発達障害者の感覚をなかなか理解できない(もちろんその逆も)ということに尽きるでしょう。
ごく当たり前のコミュニケーションに難儀を感じるというのは、定型発達者に取っては夢にも思わないことでしょう。
> しかし、社会が以上の様な状態や状況のままではいけないと思っています。その「障害」をバネにして新たな可能性を見付けようと頑張っている人達が多いし、障害者に対する偏見や差別を無くして、健常者と障害者が共に仲良くやって行ける社会造りを願っている人達がいる事も現実です。また「障害」から色々学び取れる事柄も多々有り、成長の糧にも成り得ます。
将にそのとおり。社会で成功している障害者も多数いることは、確かに私たちにとっても励みになりますが、サクセスストーリーは周囲の偏見との闘いを抜きには語れません。
成功例の大半は、家族が温かく見守ってくれたケースでしょう。もちろん両親の離婚や幼児虐待の被害など、不遇なケースでも社会で成功した人はいます。
しかしどんな人であっても家庭はやはり最大のオアシスであるべきです。そう考えると、幼児虐待の被害者はもちろんですが、家族の中に障害者に対する偏見があると、一見親子仲が睦まじいケースでも「障害者だから仕方なしに育てた」(オフクロ談)「見捨てられるのが怖くて反抗できなかった」(Chiquitita談)というのはむしろ当たり前になってしまい、障害者が社会で成功するための最大のバリケードになってしまうような気がします。
> 私が近年になってようやく某大学病院の精神神経科で診断を受け、医師から高機能自閉症(=AS)との診断が下された時には、今まで受診に強硬に反対していた母親と私は心底ほっと安心しました。
> 今思うと、自己診断のみでやるのは非常に怖いと思っています。
自己診断を鵜呑みにして「私はASです」と思い込んでしまうケースが、おそらく杉山先生のコメントされた記事([#485]で紹介されています。[#11228]〜[#11229]も御覧下さい)なのでしょう。
4歳のときに正式に「自閉症」と診断された人ですら、AQ値が42ポイントでも医療機関で「グレーゾーン」として扱われることも珍しくないと思います。
だから、私も自己診断はあくまで参考程度、と考えたほうがベターだと思います。
(自分自身の主観的な視点と、医療機関の客観的な視点が一致しないのが原因)
> 「障害」が「個性」として受付けてくれる社会が本格的に実現できたらなあと思う今日この頃です。
そのための第一歩は、家庭内で障害者に対する偏見を解決することに尽きるでしょう。
いじめられて泣きながら帰ってきた私に、仲直りの提案よりも「江戸の敵を長崎で」というアドバイスをする親は問題外だと思います。
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