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もなかさんへ。
はじめまして、たもっちです。
北陸地方の某都市で鍼灸マッサージ治療院で勤務しています。
>周囲の理解の無い中、子供の頃からがんばって生きてきました。成人してからASだとわかり、それからはASについて自分で勉強しながら自分の悪いところを頭で理解し、なおす努力をしてきました。
私は、二十歳になるまでは、自分自身が他の人と違っている所が分かっていたのにも拘らず「成績が悪かったり、生活態度が可笑しかったりすると、ひょっとしたら特殊学級か養護学校へ入れられるかもしれない。就職や進学も出来ない。そんなのは嫌だ。僕は普通なのだ。私を馬鹿にしている人は敵だ、悪魔だ。」との気持ちで一辺倒でした。そのお陰で何とか社会人生活を送る事が出来ました。しかし、その陰で社会性や対人関係の構築能力の成長や親からの精神的な自立を遅らせてしまいました。三十歳台半ばに差し掛かろうとしている現在でも、そのツケを返すのに非常に苦労しています。
>でも努力すればするだけ「普通と変わらなく見える」ため、逆に新たな苦しさも増え今までとは違ったトラブルもでてきます。
>努力がむなしく思えます。
その努力がなかなか多くの人に理解されにくいため、投げやりになったり社会に対する憎悪感を持ってしまう事さえもあります。
>私は、自分の困難さを説明することができません。他の会話は比較的出来るのに、自分が困っていることを説明する言葉が見つかりません。ストレスだけがたまっていきます。社交辞令や人との距離の取り方を覚えても、中身は小さな子供です。
>毎日が混乱状態です。でもその混乱は理解どころか信じてさえもらえない。周囲に合わせなければ生きていけない。みんなに迷惑をかけてしまう。ただただ我慢し続けるだけです。
私自身は、金沢に住んでいた22歳の時に母親と東京へ行って自閉症の専門医に診てもらいました。その時は「何ともない。自閉症でも精神薄弱でもない。」と言われました。
しかし、三十代になって対人関係のトラブルや今まで受けてきた虐待行為、自分自身の人生経過、亡き母親の将来に対する不安、普通の社会で続けられるだろうか恋愛と結婚の願望があっても出来るか否かとの不安等で悩み続けるようになりました。そして、余りにも遅すぎた「自分探し」の旅と自己分析を始める事になりました。そうして行くうちに、「22歳当時で受けた診断内容がこれで本当に良かったのか?。母親が亡くなってしまうと自分自身の発達歴や生活歴を証明してくれる人物がいなくなってしまうのでどうしよう。不安だ。自己分析だけでは非常に恐ろしい。母親や自分自身が今まで世話になってくれた人を通してしまうと、自分が現在と将来の不安脱却の為に行おうとしている事が妨げられてしまう。今のままの流れだと限界だし物足りない。こうなれば、今までのやり方で足りない部分を補って行くしかなくなる。清水の舞台から飛び降りる覚悟でやって行くしかない。これからの私の人生や家族関係者の将来の不安と負担の軽減の為に・・。」との気持ちで、今年の1月に某大学病院の精神科へ行きました。それまでの道のりは非常に辛く、私がアスペルガー障害関係のボランティアに参加して、そこの責任担当の先生を通して某大学病院の先生を紹介してもらい、ようやく診断へと漕ぎ付けたのです。
診断の結果は「高機能自閉症」でした。その時はホッと出来、不安感は無くなりました。しかし、社会や関係者家族の偏見や差別、自分自身との戦いはこれから続くと思っています。
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