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Chiquititaさん、こんばんは。
>世の中の人達は、いったい何を人間の好き嫌いの指標にしているのでしょう?
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>何故、コミュニケーション能力がまっとうなだけで、身だしなみはいい加減でも他人に好かれ、日常会話に困難を感じていると、身だしなみに細心の注意を払っても嫌われるのでしょう?
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実は、私もそれに幼少時代から現在に至るまで長年悩まされ続けました。
私の場合は、積極性の高機能自閉症であるが故に、私自身が「表に出て頑張ろう。障害者の偏見や差別に負けてたまるか。人間社会は平等でなければ駄目なんや。」との気合で何とか世を渡ってきました。そのエネルギーが私のスキルアップの源でもありましたし、その陰では多くの周辺の人達とのトラブルの種でもありました。
>いくら技術者が技術だけで飯が食えない時代だからといって、何故コミュニケーション能力が悪いだけで技術を過小評価されなければならないのでしょう?
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私も長年にわたってそれを実感して来ました。学校時代等で学んできた知識や技術がそれらによって不意にされてしまい、自分自身に対する尊厳や評価が下がってしまい、その反動で周囲の人達とのトラブルや異常行動等によって自暴自棄を起こした事が多々ありました。
>世の中の人って、外見だけで発達障害を見抜く能力があるのでしょうか?
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>つくづく自分が発達障害を三つ巴(AS/ADHD/NLD)で背負い込んでしまった事が恨めしいです。
>しかも、LDが対人関係を阻害しているのがますます腹立たしいです。
私もその様な状態に遭遇した事が多々ありましたので、Chiquititaさんの気持ちは良く分かります。しかし、それに対して過剰卑屈になったり自暴自棄になったりする事は止めた方が良いと思います。
これからはその事を逆手に取って自己発見をした上で、自分自身にとっての明るい未来に向かって前進して行く事が最善だと思います。決して焦ったり・奢ったり・いじけたり・悔やんだり・負けたりしてはいけません。
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