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じゅんこさんへ
> 横レスですが、いままでのみなさんのやりとりを読ませて頂きながら、たまらず書き込みさせていただくことにしました。
はじめまして、じゅんこさんが「たまらず」とおっしゃる気持ちもわかります。
支援する側としたらこんな書き込みは辛かったことでしょう(><)
私も親という支援する立場からその気持ちも理解しているのです。
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> 先生は頑張って、頑張って、頑張りすぎているのですね。
>先生を非難することはかんたんですが、それが先生を追いつめることになり、結果お子さんが、もっと辛い思いをすることになってしまうという八方ふさがりです。
努力しても、努力しても結果が伴わない時にじゅんこさんならどうしますか?
私も先生の頑張る気持ちや思いつめた気持ちを知っています。私自身もそんな先生を目の前にしながら心を痛めているのです。
それでも息子のために伝えていかねばならない時もあると察してはいただけないでしょうか・・。私自身も先生の悲しそうな顔を見るたびに、昔の自分を見ました。障害と分る前は私も息子に先生と同じようなことをしていたんです。
結果は取り返しのつかないくらい息子を傷つけただけだったんです。(悲)
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> お子さんが、一番楽になることは、焦りからきている先生の頑なさや、がちがちになっているその肩の力をちょっと抜いてもらうことなんですよね。お子さんのことを真剣に考えてくださり、お子さんの方も初めて信頼感を感じた先生だということですから、先生自身、だれよりもお子さんのことを理解しているんだという自負、プライドがむくむくと沸いてきたのでしょう。なんとか、私の力量でこの子を成長させたい、自分の思いどおりに発達させたい!と・・・
その気持ちも理解しています。先生が息子を想う気持ちにうれし涙を何度も流し、感謝の言葉を言いました。先生自身も息子の回復ぶりや、出来ることが多くなったことに成果も感じていたことでしょう。先生は目標を持って頑張っておいででした。尊敬しています。
しかし、マラソンでも吐くまで頑張ってしまう息子の資質や先生に喜んで欲しくて体が壊れるまで頑張る息子のひたむきさには気づいていらしゃらなかった点で、
健常者の子同様に「頑張れば出来る・可能性は伸ばせる」と引き上げ過ぎて、家庭から発信する声を「過保護や心配性」という視点で切捨ててしまったこところに原因の一つがあるのです。
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> きっと、やるべきことも、やらなければいけないことも先生はご自分の中に持っておられると思います。対立してやりこめるのではなく、「あ〜そうだった!!」と自分を外からもう一度見直すことができるようなアプローチを親のYUMEさんではないだれかが、してくれるといいのですが・・・。本当に難しいですね〜。
その通りなのです。心理士の先生にお願いして話をしてもらったのですけど、心理士の先生の声も届かない状態だったり、勘違いをしていらっしゃるようなのです。校長先生もチームを組んでくださっている先生も「先生の頑張りに目がいっていて」肝心の「息子の資質の段階」に目がいっていない点もありました。
校長先生へお話しても、「先生は頑張っていらっしゃるから任せましょう」というお話や、障害を理解していない発言ばかりに私としても・・どちらから先生へもう一度自分を見直してもらえるアプローチをお願いできるのかに悩んでいました。
十分に先生の立場や気持ちは解っていてのお願いだけに私としても板ばさみ的な心理状況なのです。
気づいてくださる先生や気づけない先生の中に資質的な差があるとしたら、私も支援の限界なのかな?とあきらめて息子自身の身体的なストレスとのバランスを考えながら学校へ行かせたりすることもできるのですが、そんな頑張りやの先生だからこそ、誤解のあったまま卒業させたくないのです。そして、先生にも「力を抜いてもいいんだよ」と教えてくださる方を探しています。「親の立場のなんと難しいことか・・」そしてじゅんこさんも親として息子の辛さを目の前にしたら・・・きっと私と同じことで悩まれるのではないでしょうか・・・。
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> なにもアドバイスができなくてくやしいですが、学校でのお子さんが、「そのままでいいんだよ!」という肯定感に包まれて、一日をすごすことができますようにお祈りしています。
私が求めているのも、息子が求めているのもこの「そのままでいいんだよ」という感じ・体感だと思います。
息子は二次障害で先生に対する嫌悪感が前々からあったので、先生にとってはとても大変なケースだと思います。「バカは死ななきゃ治らない」と冗談でいった先生の言葉で自殺未遂をして記憶までとばしてしまった息子です。そう簡単には先生自身を受け入れられない子なのです。信頼関係が出来ても、すぐに壊れてしまうところがあります。難しい子どもだと重々承知はしているのです。
本当に息子自身を認めてくれる第三者の言葉が息子には一番に欲しいのだと思います。
息子は担任の先生が好きです。だからこそ、ずっと理解してもらえないことで傷つく度合いも高いのでしょう。そんな先生と息子の苦しみの原因が「焦り」だったとしたなら、「行間の説明をして納得させいく作業」がお互いに必要な気がしてならないのです。実際に私が通ってきた道を今先生自身が体験されているので、原因が見えてしまっていました。
そういう経緯から「行間の説明をする」こと自体が資質的な部分で出来ないのなら高度な要求でしかないのだろうか?と悩んでスレッドをたてさせていただきました。愚痴がいいたくて、先生の話をしていた訳ではないのです。
支援されている側からはやはり「支援している先生」のお気持ちも十分に理解されていると存じます。私も支援する側として、息子の重度の行動障害がどこから来たのかを知っているからこそ、お願いしてきました。はじめから先生のやる気をそぐようなことはしていないのです。今回はじめて先生に息子の実態について話し会いを持てるようになったのです。
心理士の先生も「先生の育ち」を待ちましょうとおっしゃっていたので、私も先生にお任せできるように口出しはしないで、良い部分は家庭にも取り入れてきました。 今回は息子に身体的なストレス症状がオンパレードで出ていて、自殺未遂した時のような様子によく似ていたので私自身「恐かった」のです。
早急に先生へ「伝えなくてはいけなかった」状況だったことがありました。その中でどんなに努力をされていたと先生を認めたとしても、「守るべき息子の命」に本気で先生とぶつかっていかねばならないのだと思えたのです。
先生にとってはとても辛い状況だと察します。お互いに楽になるには「間違い」を認められる「プライド」にも目を向けて欲しかったのです。
私は息子と先生との間のことでは、第三者です。私は息子に歩み寄りの方法を話すこともできるのですが、大人の先生には先生が「納得」できる人物に話をして頂くことが必要だと思いました。私ではダメなのは知っているのです。息子が私に依存していると思われているようなので・・・(><)。
だからこそ、教育機関に相談をしていくしかないのだという気持ちでいます。
ただやはりそのことで「先生にダメな教師のレッテル」を貼られることは避けたいので、必ず先生がこれまでしてきた努力の話もするつもりです。ここで書いたようなストレートな表現はしません。相談機関にお願いする部分は「息子の障害に合わせたスケジュール」をお願いしていくつもりです。「スケジュールに息子をあわせるのではなく」・・・。まだその段階なのだと理解して欲しいだけなのです。
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