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こんにちは、笛です。
横レスですが、恋愛について一点だけ発言させて下さい。
▼Chiquititaさん:
>恋愛については、むしろ、両親が世間体を気にするあまり、私の恋愛に猛反対したので、親の世間体を異常に気にする姿勢がよほど恥だということを証明したいのです。こうでもしないと、さんざん私の身体障害&発達障害を罵っておいて13年前に勝手に死んだ親父を見返すことができません。
「見返す」…?
AS的特徴として、字義通りにしか解釈できないのですが、これは「どんなもんだい!」という意味で良いのでしょうか。
それならば、相手の女性に失礼なように思います。
>だから、「オレにも恋人ができた」と墓前報告して、ようやく親に「Chiquititaを生んで育ててくれてありがとう」と言えるような気がします。
>また、私は再三コメントしている通り、女性に対してもトラウマを抱えていますが、そのトラウマを忘れるためにこそ恋愛は必要だと感じています。
>失われた自信を取り戻す過程で、素敵な出会いがあることを期待しています。
「愛する」というのは、私の中では、能力であり故に実力でもあり努力を伴います。
愛するという意思があって、その意思を持続させ発展させる能力のことです。
Boy Meets Girl的「素敵な出会い」というのが私にはよくわからないのですが、
人を愛するというのは訓練が必要なスキルであり、「これで良い」と努力をやめていい「果て」があるものでもありません。
そして「人を愛する」ということは、それ以前にありのままの自分を受容して愛することが不可欠だと思います。
これが出来ないと、自分に対して自分ですべき事を、社会や家族・友人・恋人・配偶者・子供などに
必要以上に期待して、関係を歪める・壊す結果となるのではないでしょうか。
なんだかコミュニケーションのトレーニングのようですが、自己受容は生きていく上での基本であり、
誰がどんな有益なアドバイスをくれようとも、結局は自分にしか出来ないことだと思います。
どこにいても、何をしていても、自分を受け入れて成長させることが出来るのは自分です。これは自分に対する最低限の責任だと思います。
偉そうなこと書いてしまいました。申し訳ありません。
実はこれ、全部自分に言っているのです。
私も自分を丸ごと受け入れ、ありのままを愛することが出来ません。
ASであることを知ってからは多少気が楽にはなりましたが、三つ巴の障害を持つ故に人並みな事が出来ない自分には変わりがないわけです。
でも、あきらめるつもりはありません。
かけがえのない自分の人生ですからね。
Chiquititaさんも、かけがえのないChiquititaさんの人生をあきらめないで下さいね。
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