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▼アリステイデスさん:
コメントありがとうございます。
確かに、私の両親は私を教育するに当たって、人間関係は二の次という考えで接して来ました。
真面目に勉強or仕事さえしていれば、上司にも見込まれるし、女の子の方から自然に寄って来る、そう言われ続けていました。
それがまやかしだったことに気付いたのが、大学へ行って間もない時期でした。
さらに、親が世間体を気にしていたことは割と早くから気付いていましたが、その異常さに気付いたのは茨城での話。
何より私にとってもショックだったのは、人間関係のABCが学校の勉強で身に付けるものでないと解ったことでした。
それでも私が定型発達だったなら、勉強の合間に人間観察でもして身に付けることは可能だったでしょう。
でも過去を歎くだけなら、旧HNで旧BBSに入れたコメントと比べても何等進展はありません。
確かに愛は求めてすぐに得られるものではないので、積極的に行動することも必要でしょう。
しかし、家族の者にまで障害を罵られ、愛情の定義まで歪められた私が、そのまま行動に出ても、理想の展開にはならないでしょう。おそらく、皆さんの前ではコメントできない程おぞましい結末が控えていたでしょう。
だから、「館」の存在は私にとってかけがえのないものであり、また「恋愛の前に心療内科ありき」なのです。
自己愛が本来あるべき姿になれば、他人(特に女性)の愛情を受け入れることもたやすいでしょうし、私が捧げる愛情も周囲が受け入れられることは想像に難くありません。
今回の偽装請負事件などでスケープゴートにされても、自分を見失うこともなく、逞しさを新たな魅力としてアピールできると信じています。
勉強や仕事に一所懸命でも得られないものがあることに気付いただけでも大きな収穫です。
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