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コメントありがとうございます。
▼TONOさん:
>私は、その土地が悪いわけでも、その土地の方すべてが悪いわけでもないと言いたいのです。よくしてくれた方もいるんではないですか?
>
>たまたま、悪い思い出の方が多かっただけです。
>偶然によるものが大きいし、その場所だけでなく、どこでだってあり得る事です。
もちろん、素敵な思い出話も山ほどあります。いじめのさなかにも、友達はもちろんいました。
片思いも数回しました。
今、左腕を動かす度に36年前の古傷が痛んでいます。忌まわしい思い出が古傷の痛みによって呼び覚まされています。
いじめだけでなく、医療機関の不愉快な対応(今のところ整形外科だけだが)もM市に集中しているので、自力ではフラッシュバックを抑えることは困難です。
でも、TONOさんのおっしゃるように、何処でも起こり得る話だったかも知れないし、M市でも違う小学校だったならいじめの被害ももっと少なかったかも知れない。
そう考えると、今までの43年間が最悪だったとも言い切れません。いじめも誤診も、「試練」の一語で片付けるにはあまりに残酷ですが、最善のストーリーも最悪のストーリーも「神のみぞ知る」です。
>自分の好きな土地や暮らす場所を名指しで否定されたくないのです。
その心は理解できます。だから、今住んでいる場所にもしこりを残さないようにしたいです。
日本全国津々浦々にトラウマを残して苦しむという筋書きはどうしても避けなければなりません。
また、繰り返しになりますが、今回の解雇も悪意によるものだと解釈すれば、それだけフラッシュバックのネタも増やすことになります。
でも生きている間は「生き地獄」でも、最期には物語をハッピーエンドにしたい。だからこそ会社の悪意を信じたくありません。
人生を笑って終えるためにはNLDをも乗り越えなければなりませんが、無理のないように行きたいです。
「館だけでも敵に回したくない」というコメントも、心の拠り所を失いたくないという思いはもちろんですが、実環境でこれ以上敵を増やしたくないという思いのほうが実際はむしろ強いです。
自己主張がエキセントリックでなくても、我を通すことは軋轢の元なので、妥協できるベストな方法を模索することを常に考えます。
自分の意見と異なる見解を受け入れるのもその一つだと思います。
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