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僕は、幼少期から思春期前半にわたっていじめを受けてきたのですが、「僕が手を下せば、僕が悪者になってしまう」という考えを持っていたので、殴る、蹴る、カバンを窓の外に投げ捨てられるetc.…我慢していました。だから、僕は泣き、わめきしたけれども、彼らに暴力を振るうことができませんでした。
また、「誰かに助けて欲しい」なんて露にも思わなかったし(いじめを止めない人=加担者という図式を作っていました)
その反動が、自室のドアを蹴る、壁を殴る、という行動に現れていたのかも知れません。
僕の場合は、「学校→必ず行くところ」という図式ができあがっていたので、例えいじめを受けようが、通学することで、「僕は負けていないんだ」と自己確認していました。
その後も、ことあるごとに自分の考えを表明せず、言いたいことを我慢し、人の意見に同意することが多くなりました。
なぜなら、自分が何を言い出すか、話に脈略のないことを言い出してしまうのではないか、という心気妄想に襲われ、「僕が我慢すれば、丸く収まる」と考えたからです。
しかし、その反動で、気持ちのぶつけ先がなくなり、性的な逸脱行為に走ってしまい、結局は、自己破産という最悪の結末を迎えてしまいました。
一般的な人間関係を築けない僕にとって、何らかの考えを表明すること、感情表現をすることに、一種の怖さを持っています。
だから、これからも我慢を強いられる場面が多いのかも知れません。
答えになっていませんね、ごめんなさい。
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