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チキさん、締めたいといわれたあとにすみません。
既に書き終えていたものですから、投稿いたします。
特定の誰かに宛てた書き込みではありません。
文字だけの掲示板では、書き込みした相手の人間像は見えにくいものです。
自分の痛みを書き込めば「苦しんできた人」となり、少々厳しい言葉を使っても「経験から」と理解されやすい。
それに対し、痛みは語らずに厳しい助言だけ与えれば、「相手の苦しみが分からない人」「苦労していない人」ととらえられがちです。
でも、痛みに共感してほしいとき、人は慰めの言葉を求めてしまうけれど、それでは根本的な解決につながらないからと、叱咤激励してくれる人もいる。
言葉をストレートに受け止める自閉者には、「暴言」と「厳しい言い方の助言」の区別が難しい。
前向きなアドバイスさえも攻撃的に感じるかもしれない。
そこには、言葉の表面からは分からない優しさが秘められているというのに。
人にはそれぞれに、過去や生活背景があります。
身体障害、難病、同和問題、民族差別、犯罪被害、戦争被害、家族による虐待…。
発達障害以外にもマイノリティはたくさんいて、二重苦、三重苦の人もいる。
誰もが何らかの苦しみを背負い、弱い自分を支えながら精一杯生きているのだと思う。
哀しいことに「想像力」の障害を持つ自閉者には、そのことがなかなか理解できない。
笑っている人を見れば、楽しい人生を送っているのだと思い、陰で泣いている姿を思い浮かべられない。
相手に自分と違うことを感じる「心」があるのだと分からないまま、見当違いの言葉を投げかけて、うまくコミュニケーションが取れないことに、「傷つけた」のではなく、「傷ついた」と感じてしまう。
どうか、過去を語らずに厳しい言葉を投げかける人を責めないでください。
その人の痛みは、その人にしか分からない。
崩れそうな自分を、痛みを話さないことで、必死で持たせている人もいるのです。
自分の苦しみしか見えていないときは、それに気づくことができません。
痛みを訴える人を励ますのと同じように。
辛い過去に封印しようとしているかもしれない人を、大事にしてください。
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