アスペルガーの館の掲示板

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[#15215] 疑問 フリッツ藤井 06/10/23(月) 13:40 [未読]

[#15397] Re:疑問 フリッツ藤井 06/10/27(金) 11:48 [未読]
[#15402] Re:疑問 秋桜(管理人) 06/10/27(金) 13:15 [未読]
[#15409] Re:疑問 フリッツ藤井 06/10/27(金) 17:43 [未読]
[#15454] ありますよ。 TONO 06/10/28(土) 8:50 [未読]
[#15457] そういう事じゃないんです Lao Tzu 06/10/28(土) 9:37 [未読]
[#15460] Re:そういう事じゃないんです Chiquitita 06/10/28(土) 10:13 [未読]
[#15465] Chiquititaさんへ TONO 06/10/28(土) 10:42 [未読]
[#15467] Re:Chiquititaさんへ Chiquitita 06/10/28(土) 11:16 [未読]
[#15501] Re:そういう事じゃないんです Lao Tzu 06/10/29(日) 2:05 [未読]
[#15461] Re:そういう事じゃないんです TONO 06/10/28(土) 10:15 [未読]
[#15497] Re:そういう事じゃないんです Lao Tzu 06/10/29(日) 1:38 [未読]
[#15508] Re:そういう事じゃないんです TONO 06/10/29(日) 11:23 [未読]
[#15509] Re:そういう事じゃないんです Lao Tzu 06/10/29(日) 13:44 [未読]
[#15511] Re:そういう事じゃないんです フリッツ藤井 06/10/29(日) 14:36 [未読]
[#15405] ??? じゅんこ 06/10/27(金) 15:34 [未読]

[#15397] Re:疑問
 フリッツ藤井 メールホームページ  - 06/10/27(金) 11:48 -

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   秋桜(管理人)さん、はじめまして。

アスペルガーに療育という言葉を使うのは反対です。

なぜなら、治らないと認められているアスペの先天的特性を治そうということにつながってしまっているからです。

アスペルガーがしばし問題を起こすのは簡単にいえば頭がいいからです。それが、周囲の人間との不調和を生んでいます。
そこからトラブルが起こるのです。これは、昔からよくあることですが、昔はこういったトラブルを笑い話にする余裕があった。
何かに集中しすぎてトイレにいけなくても、作文発表会で小学生とは思えない可愛くない正論を書いてしまっても、写真のような絵を描いても、周囲が彼らの頭脳や能力を認める傾向にあった。しかし、現在はあまりにそれがない。

いずれにせよ、こういったトラブルを防ぐのは、療育ではなく高度な教育なのです。持って生まれた知的欲求を満たしてあげれば少なくても今よりは状態はよくなる。

日本のような集団平等教育は世界でもあまり例がありません。私達は教育というと、集団平等教育が当たり前になっていますが、よく考えると非常におかしな制度なのです。なぜなら、人間の先天的能力が平等なわけがないからです。それを一まとめにして教育するというのは無理です。

中国や韓国では、10歳の大学生が当たり前ですし、アメリカだって飛び級は当たり前であり、音楽家になりたければそういった人向けのコースがある。日本でも、そろそろ、真面目にこういったことを考える時期にあるのではないでしょうか??

戦後から変わらぬ教育の日本では、アスペルガーが社会問題にならない方がおかしい。
似たような国にはドイツがあります。アインシュタインとレントゲンが軽度発達障害の代名詞なのは彼らがドイツ人だからです。ですので、彼らがイギリスやフランスに生まれたら軽度発達障害者にはならない。そして、ドイツには暗黙の了解があるため大して問題にはならない。あくまで、アスペルガーや発達障害とは日本人が便宜的に使う言葉です。

アスペが日本で問題になっているのは実は当たり前なんです。しかし、本来、こういった子供を授かったら保護者がなんとかしてきました。昔はアスペなんて言葉がなかったのは、ここにあります。

どうしても、アスペルガーは被害者というのを認めて欲しいなら、世間にここをアピールすることが一番だと思いますよ。今は、教育ブームなのでちょうどいいと思います。

いつまでも、集団平等教育をするからアスペルガーが苦しむことになる。その改善を求めて抗議すれば少しは相手にされると思います。変えないようなら、今までの待遇の悪さを認め経済的に支援しろみたいな、いわゆる理論上最強の二択攻撃がいいと思います。ただ、アスペで自立している人はたくさんいますし、平等思想が強い国民性なので難しいとは思いますが。

それから、アスペの子供が欲しい言っている人はいますよ。我が子を英才にしたい教育ママに多いです。私もどちらかと言えばアスペルガーの子供が欲しいです。

いずれにせよ、短絡的に社会性が無い障害としているうちは騒ぎが大きくなるだけでしょう。

特別支援教育はどういう結果になるかはもうわかりますね。それをきっかけにアスペ問題が少しでも改善することを願っています。

[#15402] Re:疑問
 秋桜(管理人) メールホームページ  - 06/10/27(金) 13:15 -

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   ▼フリッツ藤井さん:
お返事をありがとうございます。
でも私の疑問に対しては全く答えていただけず、残念です。

療育ということばを使うな、ということですが、私は療育というのはどんな子どもにも有効だという考え方の持ち主です。むしろ藤井さんがおっしゃっているような個々人に合った教育という意味で療育ということばを使っています(その辺りのことは今までの発言やホームページに書いています)。

また藤井さんはそういう教育はアスペルガーの子どもだけに必要、といった書き方をされているようですが、そんなことは全然ないです。むしろ私の経験では発達障害ではない子ども達の方が早く効果が出る印象があります。

辻井先生も「広汎性発達障害の子どもたち」という著書の中で「療育的な発達支援(とても丁寧な子育て支援)は本当のところ、全ての子どもにとって有効で有益で、本当に実の話、特に発達障害ではない子どもにとって最も速やかに効果的であるともいえるのでしょう。(p.7-8」と書かれています。

そういう意味も込めて[#15340]で私と藤井さんの間では療育ということばの意味は違っていますね、という指摘をしました。相手が過去に発言している場合はそのことばの使い方にただ反発するだけではなく、まず相手がどういうことばの使い方をしているかを確認することが大事だと思います。

また、藤井さんはどうしてこの掲示板の人たち(特にお母さんの立場の方)から批判を浴びたのか分かりますか?

それはお母さん達(つまり家族や支援者)の苦労や手間を軽んじるような発言をしたからです。

現在では障害ということばの捉え方は従来のものとは変わってきて、通常のやり方ではうまく行かない人たちを支援するという意味で用いられてきています(特に発達障害の世界ではそうです)。何か欠陥がある、という意味だけで使っているわけではありません。

支援というのは適切ではないと言われるかもしれませんが、実際の所は定型発達のお子さん方よりも手間や苦労がかなりかかるのは事実です。つまりそれだけ支援する人のエネルギー、言い換えれば本来その人が使うべき命を使っているということなのです。

発達障害の家族、特に母親というのは鬱になりやすいという国内外のデータがあるのはご存知ですか?人間というのはエネルギーを出し切ってしまえば枯渇してしまいます。

そういう事情を考慮しないで「アスペルガーの子どもを育てるのは簡単」といった発言をするのはどうかと思います。とても無責任だな、と多くの人が思ったのではないでしょうか。

そもそも妊娠・出産という段階で母親達は多大なエネルギーを注いでいます。時には自分の命と引き換えにということもあるのです。また子どもを産みたくても様々な事情で産めない人もいます。だから気軽に「〜な子どもが欲しい」と言うのはマナー違反だと私は考えています。

それに私と夫はアスペルガーは被害者だなんて言ったことないですよ。むしろ被害的・迫害的にならないで欲しいな、と思っている方です(これは辻井先生も当事者へ向けて講演会で話していました)。

最後になりましたが、研究者と名乗っているのに自分にとって都合のいいデータだけを使おうとするあなたの姿勢には正直疑問を感じます。

研究者というのは事実を基に(例えそれが自分にとって都合の悪い結果が出ても)分析していくし、分析のためには多大なデータを集めます。人間の行動に関するある事実を証明するためには最低30人、理想は100人以上のデータが必要だと統計では言われています。事実アスペ・エルデの会は15年という長い間の活動を通して相当なデータを集め、それに基づいて支援をしてきています。それだけの実績があるからこそ多くの人の支持を集めるのだと私は感じています。

このサイトで研究者と名乗りたいのでしたら、今までの業績など研究者としての裏づけを示してください。自称では専門家と誤解を与えるので少なくともこのサイトではやめてください。

[#15405] ???
 じゅんこ  - 06/10/27(金) 15:34 -

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   最近、このサイトにおじゃましている者なので、周りのみなさんのリアクションの大きさは一体なんなのだろう?とびっくりしながら、フリッツ藤井さんの言いたいことを私なりに考えてみました。
確かに今までのスレッドにおいても、アスぺと特殊能力とかアスぺと高学歴などの話題がとりあげられ、ASのみなさんの天性的な特性であるこだわりの分野が、そのこだわりについての専門的な興味につながり、深い知識や特技になっていくということはあるのかもしれませんね。
 ただ、「アスペルガーは障碍ではなく、なにか超能力みたいな特殊な能力をそれぞれに持っているということなので、そういう子どもたちを集めてその秀でた部分の専門性をさらに磨かせるような教育、指導ができるような教育機関を整備すればいい。」という言葉ですと、なんだかアニメや漫画にでてきそうな話しで、「その秀でた部分のみが大事で、その子ども自身の人間性はどうでもいい。」というように感じられてとても違和感を感じます。
 私は専門的な知識も実践も少ないのですが、アスペルガーの方にはそうした特別な能力が必ずあるんだ!というあなたの言葉に「そうだ!」とは言えない気がしますがどうでしょうか?例えば緻密な貼り絵作家である山下清さんは少し知的な障碍を持っておられましたし、言語面での発達に遅れのある自閉症の子どもが見たものをそのまま絵にかいていく(たとえばヘリコプターでぐるっと一回りしただけで、その町並みを絵にかくといった)という能力があることを紹介していたテレビでみましたが、同時に高齢になられて認知症になった方にもそうした力を持つことがあるということが紹介されていました。アスペルガーだけが天才であるという確信にみちた持論には賛成しかねます。
>
>アスペルガーに療育という言葉を使うのは反対です。
>なぜなら、治らないと認められているアスペの先天的特性を治そうということにつながってしまっているからです。
 例えば生活習慣(身辺自立など)を身につけることだけに重きをおいて、指導を強化する学校の先生が担任になると、アスぺの子どもたちはたちまちつぶされてしまいます。フリッツさんの言葉によればそんなことはどうでもいい、そんなことができなくてもその才能だけに注目しなさいよ!ということだと感じられましたが、それではみんなの中で一緒に関わり合っては生きていけないですよね。
 
 その人が生きていく上で、自分を否定されない場所をしっかり確保され、人と関わり合って生きていくことがうれしいと思えるような経験を積むこと、自分という存在をそのままで喜んでくれる人に出会うことが大事なんだという意味では療育か教育か、あるいは障碍があるかないかは関係ないことだと思います。(管理人さんも書いておられましたね)同時に先天的特性だけでなく、今までの成育歴から療育が必要となっている方は多いように思われます。
 私達子どもの周囲にいる(特にこの館におとずれているみなさんをはじめとする)大人たちはそうした場所を子どもたちに提供してあげたいと願いながら、なかなかありのままの子どもを受け入れてあげられないで苦しんでいるのではないでしょうか。同時に今まで脈々と温存されつづけてきた子育てのあり方(子は親に従わなければいけない)に自分自身が傷ついてきたのにかかわらず、別の方法を見つけられなくて、同じ子育ての方法で子どもに向かい合っていることに疑問を感じ、新しい生き方を模索しているのだと思うのです。

>日本のような集団平等教育は世界でもあまり例がありません。私達は教育というと、集団平等教育が当たり前になっていますが、よく考えると非常におかしな制度なのです。なぜなら、人間の先天的能力が平等なわけがないからです。それを一まとめにして教育するというのは無理です。>
>中国や韓国では、10歳の大学生が当たり前ですし、アメリカだって飛び級は当たり前であり、音楽家になりたければそういった人向けのコースがある。日本でも、そろそろ、真面目にこういったことを考える時期にあるのではないでしょうか??
うーん、この論議とアスぺはかみあわない感じがしますが。

>いずれにせよ、短絡的に社会性が無い障害としているうちは騒ぎが大きくなるだけでしょう。
そうとも言えないと思います。社会性や相手の気持ちを想像するという力は持ち合わせていないけれど、それこそ療育というスキルトレーニングを重ねることで、子どもに無理がかからないようなかたちで、周囲のひとたちとつながっていけるようになっていくと思います。

[#15409] Re:疑問
 フリッツ藤井 メールホームページ  - 06/10/27(金) 17:43 -

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   私の過去は大したことはありませんし、現在も普通の人です。ただ、科学者や大学教授とは、よくアスペルガーの話はします。科学者や大学教授にアスペが多いのは一般常識ですよね??

私が最終的にアスペ問題を確信したのは、早稲田大学と慶応大学の人間が、東京大学の人間は社会性が無いと揶揄していたことです。 

何を持って専門家、研究者というかはわかりませんが、正式な発達障害の専門家や研究者なんて存在しません。なぜなら、日本には児童精神科という学会は正式には存在しないからです。それに、正式に研究している大学もありません。最近、いわゆるFランク大学でアスペ研究所ができたようですが、生き残りに必死な私立大学がアスペをネタにしているとしか思えません。

バスジャック事件の少年のお母さんがそうだったように、なぜかこの世界の人は専門家を過剰に求める傾向にある。発達障害問題の相談は誰だっていいと思います。隣人でもいいし、前彼だっていいのです。

自宅で花や虫の観察をしている人が研究者を名乗ることもあれば、自称画家や音楽家なんていっぱいいます。

実は私は発達障害に関する本を一冊も読んだこともなければ、辻井先生がどんな人かも知りません。しかし、その方が1人でも困っているアスペルガー少年を教育しましたか?? 臨床心理士や言語療法士でアスペ問題を解決できれば、保護者も辛い思いはしないはずですし、とっくに解決していますよね。

裁判官や医師も事件を犯した後は、徹底した矯正治療が必要といっているような世界で、資格者に頼ろうとするのはおかしいと思いますよ。

私は療育や障害なんて言葉を気軽に使うこと自体がおかしいのではないかと言っています。精神障害者を持つ家族の前でこの言葉を使うと大変なことになります。

アスペルガーという言葉ができたからといって、アスペルガーと診断された人にはこれをすればいいというものではないはずです。そもそも、教育なんていい加減なもので、100人いれば100通りの意見がある。

ただ、昔からクラスや学年に1人は存在する、博士、芸術家タイプの少年をアスペルガーと呼んでそれを障害者として扱っているのは間違っていると言っています。

このあたりどうお考えでしょうか??

[#15454] ありますよ。
 TONO  - 06/10/28(土) 8:50 -

引用なし
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   ▼フリッツ藤井さん:

>何を持って専門家、研究者というかはわかりませんが、正式な発達障害の専門家や研究者なんて存在しません。なぜなら、日本には児童精神科という学会は正式には存在しないからです。それに、正式に研究している大学もありません。最近、いわゆるFランク大学でアスペ研究所ができたようですが、生き残りに必死な私立大学がアスペをネタにしているとしか思えません。


『日本児童青年精神医学会』があります。
先日、総会が幕張で開催されています。

学会のプログラムもホームページで見れますよ。

[#15457] そういう事じゃないんです
 Lao Tzu  - 06/10/28(土) 9:37 -

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   ▼TONOさん:
横から失礼します。
僕は別にフリッツさんの代弁者ではないですが、ここでは僕を含めても少数派の意見みたいなのでサポートします。

>▼フリッツ藤井さん:
>
>>何を持って専門家、研究者というかはわかりませんが、正式な発達障害の専門家や研究者なんて存在しません。なぜなら、日本には児童精神科という学会は正式には存在しないからです。それに、正式に研究している大学もありません。最近、いわゆるFランク大学でアスペ研究所ができたようですが、生き残りに必死な私立大学がアスペをネタにしているとしか思えません。
>
>
>『日本児童青年精神医学会』があります。
>先日、総会が幕張で開催されています。

例えあったとしても、医学的なアプローチでこの発達障害は何も解決できないんです。
医者が、いくら外側から脳を調べて症例と照らし合わせたとしても、それが脳の生物学的な要因から来る症状なのか、人間の精神が作り出す症状なのかは、神にしか分かりません。
脳死の判定で意見が分かれるのはこのためです。

せいぜい医者が出来るのは薬を処方して症状を抑えたり、ロボトミーで脳を破壊して新たな障害を作り出すことぐらいで、治療はできません。
それはうつ病のような他の精神疾患についても同じです。副作用の全くない薬が存在しない以上、薬に頼るのは本人が生死に関わる状況にあるときに自分で求めて服用するという場合に限られるべきです。

学校で問題を起こすからといって、何も分からない子供に薬を飲ませるのは、親や学校が手に負えないから医者に責任を転嫁するということでしかありません。

だから、医者は薬を処方して症状を抑える薬剤師みたいな専門家にはなり得ても、発達障害の専門家にはなれないんです。
フリッツさんが何をもって専門家や研究者というのか分からないと言っているのはこういうことです。

発達障害について研究するには、当事者自身が哲学を深めて自分の精神的探求をする以外にありません。

ここまで考えられる人がどうやら少ないらしく、医者や専門家の言うことをカルトのように妄信して、その信仰を他人に押し付ける人達が多いから、僕も懸念を抱いているのです。

更に自称研究所を設ける大学が出来たり、自称専門家と名乗る人が出てきて、何でも分かっているかのように自分の理論をばら撒くので、フリッツさんも対抗して自称研究家を名乗っているのでしょう。

本音は、医者や専門家と言う人達がそんなに何でも分かっているなら、神にでもなってこの世の困難を全て解決してくれ、と言いたいところじゃないでしょうか。

[#15460] Re:そういう事じゃないんです
 Chiquitita  - 06/10/28(土) 10:13 -

引用なし
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   ▼Lao Tzuさん:
さらに横からすみません。(^^;)

私は、このテーマについての議論は非常に有意義だと認識していますが、藤井さんやLao Tzuさんのご意見も、また対立意見も否定していません。
また私は現に直面している問題の解決には(暴力に訴える以外)手段を選びません。もちろんその中には「逃げる」というのもあります。(^^;)
ですので、薬物もカウンセリングも、さらには(Lao Tzuさんは好まない表現でしょうが)行動療法も必要だと感じています。

ただ、このまま議論がエスカレートしても、お互いが対立意見を攻撃し合う泥仕合になることは目に見えています。
対立意見の尊重が困難なのも発達障害の特性の一つと聞いておりますが、ここは皆さん、クールダウンしましょう♪♪♪

[#15461] Re:そういう事じゃないんです
 TONO  - 06/10/28(土) 10:15 -

引用なし
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   ▼Lao Tzuさん:

>横から失礼します。
>僕は別にフリッツさんの代弁者ではないですが、ここでは僕を含めても少数派の意見みたいなのでサポートします。
>

>>『日本児童青年精神医学会』があります。
>>先日、総会が幕張で開催されています。
>
>例えあったとしても、医学的なアプローチでこの発達障害は何も解決できないんです。
>医者が、いくら外側から脳を調べて症例と照らし合わせたとしても、それが脳の生物学的な要因から来る症状なのか、人間の精神が作り出す症状なのかは、神にしか分かりません。
>脳死の判定で意見が分かれるのはこのためです。


ホームページにリンクされているプログラムもきちんと見ていただけた上での書き込みでしょうか?

発表内容は「診断」や「心理検査」「高機能自閉症者の認知特徴」「薬」などの疾病や治療、特徴についてだけでなく、「特別支援学級に対してどのように精神科医が支援できるのか」「母親や家族のかかえるストレス」「社会性獲得のためのSST」「青年・成人期の支援について」など多岐にわたっています。

発表されている方も、精神科医や臨床心理士、教育関係者など様々です。


>
>せいぜい医者が出来るのは薬を処方して症状を抑えたり、ロボトミーで脳を破壊して新たな障害を作り出すことぐらいで、治療はできません。
>それはうつ病のような他の精神疾患についても同じです。副作用の全くない薬が存在しない以上、薬に頼るのは本人が生死に関わる状況にあるときに自分で求めて服用するという場合に限られるべきです。
>
>学校で問題を起こすからといって、何も分からない子供に薬を飲ませるのは、親や学校が手に負えないから医者に責任を転嫁するということでしかありません。
>
>だから、医者は薬を処方して症状を抑える薬剤師みたいな専門家にはなり得ても、発達障害の専門家にはなれないんです。
>フリッツさんが何をもって専門家や研究者というのか分からないと言っているのはこういうことです。


私の主治医は(担当の心理士さんもですが)今私に起こっている問題を聞いてくれます。『いい』とも『悪い』とも言われません。『なぜそんな事をしたの』と攻められることもありません。
だから安心して、自分の気持ちを言えて、また社会の渦のなかで生活できる活力をもらえます。
薬も、主治医側から勧められたこともありません。

>
>発達障害について研究するには、当事者自身が哲学を深めて自分の精神的探求をする以外にありません。

それをする為に、専門家の助けが必要な場合もありますよね。
専門家も、支援するために、このような学会を開き、研究や勉強をしているのではないでしょうか。

>
>ここまで考えられる人がどうやら少ないらしく、医者や専門家の言うことをカルトのように妄信して、その信仰を他人に押し付ける人達が多いから、僕も懸念を抱いているのです。
>
>更に自称研究所を設ける大学が出来たり、自称専門家と名乗る人が出てきて、何でも分かっているかのように自分の理論をばら撒くので、フリッツさんも対抗して自称研究家を名乗っているのでしょう。

自称ではなく、専門家はいます。
あなたが出会っていないだけではないのでしょうか。

>
>本音は、医者や専門家と言う人達がそんなに何でも分かっているなら、神にでもなってこの世の困難を全て解決してくれ、と言いたいところじゃないでしょうか。

発達障害は特徴なんでしょ。
自分の特徴を理解して、どう異星での生活を楽しく楽にのりきれるかなんじゃないでしょうか。

専門家はその手助けの為にいるのだと思うし、他の方も『全て解決して、自分のASという特徴を消してくれ』と専門家に求めているわけではないと思います。

[#15465] Chiquititaさんへ
 TONO  - 06/10/28(土) 10:42 -

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   ▼Chiquititaさん:

Lao Tzuさんの書き込みは、私の書き込みに対する返信ですよね。
もう少し、書き込みを待って欲しかったです。

内容も、Lao Tzuさんの書き込みに対する返信ではなくて、「これ以上の論争をやめましょう」的なものでしょ。

反論の場を奪われるようで心外です。


>さらに横からすみません。(^^;)
>
>私は、このテーマについての議論は非常に有意義だと認識していますが、藤井さんやLao Tzuさんのご意見も、また対立意見も否定していません。
>また私は現に直面している問題の解決には(暴力に訴える以外)手段を選びません。もちろんその中には「逃げる」というのもあります。(^^;)
>ですので、薬物もカウンセリングも、さらには(Lao Tzuさんは好まない表現でしょうが)行動療法も必要だと感じています。
>
>ただ、このまま議論がエスカレートしても、お互いが対立意見を攻撃し合う泥仕合になることは目に見えています。
>対立意見の尊重が困難なのも発達障害の特性の一つと聞いておりますが、ここは皆さん、クールダウンしましょう♪♪♪

[#15467] Re:Chiquititaさんへ
 Chiquitita  - 06/10/28(土) 11:16 -

引用なし
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   ▼TONOさん:
コメントありがとうございます。

メッセージはTONOさん個人宛てではありません。すべての参加者に向けたものです。
それにTONOさん他参加者皆さんの発言機会を奪う意図はございません。
繰り返しますが、これ以上エスカレートするとお互いが反対意見の応酬になるかもしれない、という理由で自制を促しただけです。
私が伝えたいのはそれだけです。
議論そのものは有意義だと私も感じているので、否定はしません。

[#15497] Re:そういう事じゃないんです
 Lao Tzu  - 06/10/29(日) 1:38 -

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   ▼TONOさん:

最初に結論から言いますと、

>発達障害は特徴なんでしょ。
>自分の特徴を理解して、どう異星での生活を楽しく楽にのりきれるかなんじゃないでしょうか。

そう、その通りなんです。それを分かっていれば、何も問題はありません。
発達障害というのは、客観的な立場から見た特徴を現す形容詞として便宜上使われているだけで、身体障害と並べて使う場合の"障害"という意味とは本質的に異なります。

便宜上というのは、僕達みたいな普通とは違ったタイプの人間について周囲に理解が得られない時、それを説明しようと思っても十分な時間がない時、または周囲に聞く耳を持つ余裕がない時などに、急場しのぎで一時的に"障害"という言葉を使って理解を求める場合に限る、ということだと思います。
「何でこの子はこんな行動するの!親のしつけがなっていないからじゃない!!」なんて言われたときに、相手の怒りを静めるために使うというニュアンスです。

そのことをよく理解している当事者や関係者の間だけで、あくまでもその人達のQOL向上のために使われる言葉ならば良いのですが、"障害"という言葉を身体障害と同じ意味の障害、つまり脳の機能不全みたいに捉えてしまう普通の人達に広めて、言葉だけが独り歩きしてしまうのを僕は懸念しているのです。

一度広まってしまった誤解はなかなか解くことが出来ませんし、そうやって誤解されることで、ゆくゆくは当事者や関係者自身が困ることになるからです。

だから、発達障害者支援法なんていう法律の名前にまでこの言葉が使われてしまうのは、明らかに行き過ぎだと思います。

同じように、発達障害専門家という肩書きも、便宜上の言葉を使っている以上不適切ですし、仮にこの言葉を使ったとしても、何をもって専門家とするのかも明確ではありません。いや、僕が分からないだけかもしれませんので、もしそうであれば教えてください。

しかし僕は、この発達障害専門家という言葉が、何も知らない普通の人にとっては、発達障害については何でも知っている、当事者のことについても当事者よりも詳しく知っていると思われてしまうことを憂慮しているのです。

以前からこの掲示板を見ていて感じていたのですが、この懸念を深めたのは、例えば [#14956] で右京さんが医者のことを信頼できないと言っているのに対し、他の方(特に当事者のお母さんと思われる方々)から「ASの人は自分で感じた気持ちも妥当ではないと思ったほうがいい」と言わんばかりのコメントが続き、当事者の気持ちなど取り上げるに値せず、ASを扱った経験のない医者であろうと医者の言うことが正しいみたいに思っている方が多く、またそう思わされてしまっている当事者もいるという状況があるからです。

専門家という言葉は、特に肩書きにこだわるブランド志向の人達が多い昨今では刺激が強すぎで、誤解を招きます。
もしこの分野で専門家を名乗るなら、分かっていないことや絶対に分かりようがないことがあるということを必ず断った上で使うべきでしょう。

>ホームページにリンクされているプログラムもきちんと見ていただけた上での書き込みでしょうか?

すみません、少し拝見したのですが、下記ようなリンクには辿りつけませんでした。

>発表内容は「診断」や「心理検査」「高機能自閉症者の認知特徴」「薬」などの疾病や治療、特徴についてだけでなく、「特別支援学級に対してどのように精神科医が支援できるのか」「母親や家族のかかえるストレス」「社会性獲得のためのSST」「青年・成人期の支援について」など多岐にわたっています。
>
>発表されている方も、精神科医や臨床心理士、教育関係者など様々です。

僕が問題だと思っているのは、この中に当事者が入っていないことです。
医者や心理士が、当事者の行動や言葉、心理テストの結果などから客観的に読み取った情報だけで議論を進め学説を作り上げるという、当事者不在の研究からは分かることが限られているということです。
そしてその片手落ちな議論で築きあげられた学説を専門家の認識として広められてしまったら、当事者の意見など聞いてもらえる余地がなくなってしまうでしょう。
イメージ的に言うと、脳の活動が停止したというだけで脳死と判定されて手術台に載せられてしまうという危険があるということです。

フリッツさんや僕がこの話題でこれだけ説明しているのに、聞く耳も持ってくれずに感情的に反発されてしまう状況からして、専門家と言われる人と当事者の意見を公平に判断して両方の意見を尊重するという冷静さを、世間一般の普通の人が持ち合わせていると思われますか?

僕はそう思えないので、そうである以上当事者以外の人が専門家を名乗ることはフェアじゃないと思っています。

それから、おっしゃられるような「特別支援学級に対してどのように精神科医が支援できるのか」「母親や家族のかかえるストレス」「社会性獲得のためのSST」「青年・成人期の支援について」は、本来ソーシャルワーカーやケースワーカーと呼ばれるような人達が扱うものであって、医療が介入する分野ではありません。
医者が医療という観点から医者という肩書きを名乗って専門家としての意見を言うことは、先に述べた公平性という意味からも不適切だと思います。
もちろん、医者が自分の専門の医学から離れて意見を言う分には構わないと思いますが。

臨床心理士や教育関係者などの協力は必要だと思います。僕もここまで来るのに長いこと臨床心理士にお世話になりました。
ただ、そういう方達の場合でも当事者に対する客観的な観察に基づいて、適切な教育や二次障害のケアなどを行なう技術を持っている専門家であって、当事者の生態そのもの、つまりソフトウェアとハードウェアの両方に精通した専門家にはなり得ません。

いずれの場合でも、医者は薬を処方する専門家、心理士は心理療法を施す専門家、教育関係者は教育を施す専門家であって、当事者の特徴とその特徴を現す要因について精通している専門家にはなり得ません。

>私の主治医は(担当の心理士さんもですが)今私に起こっている問題を聞いてくれます。『いい』とも『悪い』とも言われません。『なぜそんな事をしたの』と攻められることもありません。
>だから安心して、自分の気持ちを言えて、また社会の渦のなかで生活できる活力をもらえます。
>薬も、主治医側から勧められたこともありません。

それは謙虚で誠実なお医者さんや心理士さんですね。そういう姿勢の人達ばかりならばいいのですが、安易に(特に自分で決断も出来ず責任も取れない子供に)危険な薬を処方してしまう医者もいると聞いたので、心配です。

>>発達障害について研究するには、当事者自身が哲学を深めて自分の精神的探求をする以外にありません。
>
>それをする為に、専門家の助けが必要な場合もありますよね。

そうですね、二次障害などの心のケアの専門家は大きな助けになります。心が乱れていては哲学をすることが出来ません。

>自称ではなく、専門家はいます。

TONOさんの過去の投稿を少し検索させてもらいましたが、TONOさんご自身が当事者で、保健師をされているんですね。
そういう方には失礼な言い方でした、申し訳ありません。

当事者、且つ専門職の資格をお持ちでしたら、僕が考える専門家の素養は満たしていると思います。(フリッツさんの定義は分かりませんが)
当事者自身の思考が理解できる(哲学さえすれば思考を分析できる)ことに加えて、専門職としての経験的知識の蓄積があるわけですから、内面と外面、つまりソフトウェアとハードウェアに対して両側からアプローチできる可能性があるという点で片手落ちにはならないわけです。

ただ、資格があればそれだけで専門家ということも言えないですよね?
また、資格がなければ専門家といえないなんてこともないと思います。
だから結局は、専門家という肩書きがブランドとして使われてしまう弊害の方が、特にこの世界では多いような気がします。

>専門家はその手助けの為にいるのだと思うし、他の方も『全て解決して、自分のASという特徴を消してくれ』と専門家に求めているわけではないと思います。

僕は、この僕達の特徴というのは、社会が窮屈になってしまったから問題とされてしまっているのだと思います。
僕達みたいなのは昔からある割合で居たわけですし、多少の問題はあったかもしれないですが大目に見てもらって、その代わりに僕達にしか出来ないようなこと(例えそれが社会的に直接価値の無い行為であっても)をしながらお互いに認め合って何とかやってきたと思うんです。
だから、僕達が困っているときに助けてくれるというのもありがたいんですが、もう少し社会の窮屈さを戻す方向に、つまりいろんな人間にとって生きやすくなるように変えていった方がいいと思うのです。

だけど、支援とか援助とかいう言葉を使ってしまうと、何か僕達の方が問題があって、社会の方はお荷物背負わされているだけという風にみんなが思ってしまうんじゃないかと思って、そういう言い方は好きじゃないんです。

だから専門家と呼ばれる方々や親御さんを始め関係者の方は、当事者に何かを授けて変えようとするだけでなく、社会の多数派の人達に考え直してもらえるようなアプローチ、内向きではなく外向きのアプローチをもっとするべきだと思うんです。

長文失礼しました。

[#15501] Re:そういう事じゃないんです
 Lao Tzu  - 06/10/29(日) 2:05 -

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   ▼Chiquititaさん:

>また私は現に直面している問題の解決には(暴力に訴える以外)手段を選びません。もちろんその中には「逃げる」というのもあります。(^^;)
>ですので、薬物もカウンセリングも、さらには(Lao Tzuさんは好まない表現でしょうが)行動療法も必要だと感じています。

逃げるというのは一番安全で有効な手段だと思いますよ。
またカウンセリングや行動訓練などもQOL向上のためには必要ですね。
僕の場合は普通の人と一緒の心理系ワークショップや自助グループなども活用していました。
でも、後で後悔してしまいそうな手段だけは気をつけてくださいね。

>ただ、このまま議論がエスカレートしても、お互いが対立意見を攻撃し合う泥仕合になることは目に見えています。

はい、相手を攻撃しているつもりはないのですが、文章で理解してもらうのには限界も感じていますし、TONOさんからの質問がなければ僕もこれ以上書き込まないことにします。

ただ、フリッツさんが過去にどんな発言をしたのかは知りませんが、この話題について交わされたこと自体は悪意に基づく内容とは思えません(少なくとも僕は悪意で発言はしていません)し、僕としては真面目に考えて参加し、相手の気を害さないように気をつけながら自分の意見を述べただけなのに、議論の内容と関係ない感情的なコメントによって最後までもみ消されようとしていたことは残念です。

また他の話題でお世話になることがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

[#15508] Re:そういう事じゃないんです
 TONO  - 06/10/29(日) 11:23 -

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   ▼Lao Tzuさん:

>発達障害というのは、客観的な立場から見た特徴を現す形容詞として便宜上使われているだけで、身体障害と並べて使う場合の"障害"という意味とは本質的に異なります。

人によっては、困難な部分があるという点では、同じだと思います。
本人や周囲に困難がない場合は『特徴』、本人や周囲に困難がある場合は『障害』と呼ばれるのではないでしょうか。

確かに、マイノリティであるASや高機能の方が『社会生活上の困難』を感じない世界になればいいのだと思いますが、その世界はきっと『スペクトラムでない方』にとっては『困難』に満ちた世界になると思います。

そういう世界では『スペクトラムではない』という『困難(=障害)』が発生するのではないでしょうか。


>言葉だけが独り歩きしてしまうのを僕は懸念しているのです。
>一度広まってしまった誤解はなかなか解くことが出来ませんし、そうやって誤解されることで、ゆくゆくは当事者や関係者自身が困ることになるからです。
>だから、発達障害者支援法なんていう法律の名前にまでこの言葉が使われてしまうのは、明らかに行き過ぎだと思います。

『発達障害』自体が多くの人に正確には伝わっていません。
伝わっていないどころか、知られてもいない気がします。

まずは、『こういう困難もある』ということに、関心をもってもらうという点では良かったのではと思っています。(内容はともかくとして)

>
>同じように、発達障害専門家という肩書きも、便宜上の言葉を使っている以上不適切ですし、仮にこの言葉を使ったとしても、何をもって専門家とするのかも明確ではありません。

それであるならフリッツさんが『専門家』をなのるのも不適切ではないでしょうか?

>しかし僕は、この発達障害専門家という言葉が、何も知らない普通の人にとっては、発達障害については何でも知っている、当事者のことについても当事者よりも詳しく知っていると思われてしまうことを憂慮しているのです。

実際、当事者よりも詳しいかもしれません。
発達障害は10人いれば10通りの100人いれば100通りのタイプがあります。

当事者は、自分も含めて数通りのタイプしか知りませんが、医師や心理士は、多くのタイプと接します。
そういった意味では、より多くの蓄えを持っていると思います。
専門家とは、そのような人の事を指すのではないでしょうか。

>専門家という言葉は、特に肩書きにこだわるブランド志向の人達が多い昨今では刺激が強すぎで、誤解を招きます。
>もしこの分野で専門家を名乗るなら、分かっていないことや絶対に分かりようがないことがあるということを必ず断った上で使うべきでしょう。

>僕が問題だと思っているのは、この中に当事者が入っていないことです。

学会での発表は、学会員が行なうものです。
この学会員のなかに当事者はいないかもしれません。
でも、日々、多くの当事者と接している方です。

(私が紹介した学会は、あくまで児童青年精神医学を学ぶ学会です。ですので、『発達障害に関する発表』は多いですが『発達障害』に特化した学会ではありません。)

>フリッツさんや僕がこの話題でこれだけ説明しているのに、聞く耳も持ってくれずに感情的に反発されてしまう状況からして、専門家と言われる人と当事者の意見を公平に判断して両方の意見を尊重するという冷静さを、世間一般の普通の人が持ち合わせていると思われますか?
>僕はそう思えないので、そうである以上当事者以外の人が専門家を名乗ることはフェアじゃないと思っています。

フリッツさんは当事者なんでしょうか?
私は、フリッツさんのブログからは、フリッツさんが当事者であるという情報は得られませんでした。

また、私は、『当事者は、自分も含めて数通りのタイプしか知らない』と思っていますので、当事者は決して専門家とは言えないと思っています。(多くの症例に接している方は別ですが・・・。)

専門家と呼ばれる人は、少なくとも、発達障害の特徴や困難を理解し寄り添うことの出来る人(または、理解し寄り添おうとするひと)だと思います。

フリッツさんは、自分の意見を押し付けてくるように感じますし、フリッツさんの考えを聞けない人は良くない人、と言っているように感じます。


その一点だけでも、フリッツさんを専門家とは呼べないと私は思います。

[#15509] Re:そういう事じゃないんです
 Lao Tzu  - 06/10/29(日) 13:44 -

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   ▼TONOさん:

>人によっては、困難な部分があるという点では、同じだと思います。
>本人や周囲に困難がない場合は『特徴』、本人や周囲に困難がある場合は『障害』と呼ばれるのではないでしょうか。

ええ、"障害"という言葉が困難(challenge)という意味で使われる場合においては構わないのですが、知らない人にとっては障害=欠陥(defect)と取られてしまうことが多いので差別につながることを危惧しています。

>確かに、マイノリティであるASや高機能の方が『社会生活上の困難』を感じない世界になればいいのだと思いますが、その世界はきっと『スペクトラムでない方』にとっては『困難』に満ちた世界になると思います。
>
>そういう世界では『スペクトラムではない』という『困難(=障害)』が発生するのではないでしょうか。

そうかもしれませんが、問題の表面化している部分だけに着目して、その目に見える問題だけを解決しようとする姿勢はあまりにも対症療法的で、本質的な問題の解決に結びつかずきりがないと思います。わざわざそれをビジネスにして永続させようとするつもりならば、そのほうが都合がいいのかもしれませんが。

例えば、凶悪犯罪が増えるのは犯罪者の気質や性格に問題があるからだ、として罰則を厳しくし取り締まりだけを強化していたのでは、形を変えた犯罪が再び起こるだけで社会にとってなんら有益な解決策にはなりません。警察や権力者には都合がいいかもしれませんが。
しかし本来ならば、犯罪者を生み出してしまうような育成環境を改善していく取り組みも同時にされるべきです。
でもそういう事は、家庭の子育てや学校教育、またそれらに配慮するという形で企業の経営方針にまで変化を求めなければならないので、確かに社会の多くの人達が困難を背負うことになるかもしれませんが、それをすることが社会のためなのです。

そんなことまでしていられないから少数派の人達には犠牲になってもらって、より多くの人達の富を優先する、というのもある程度は仕方のないことだと思いますが、それが少数の人達の健康に生きる権利まで奪うようでは話しが違ってきます。

社会のルールというのは、全ての人がそのルールを守ることによって何らかの利益がある、ということが前提であって、もしそのルールを守ったところで何のメリットもない、もしくは死に追いやられてしまうようなことがあるなら、ルールなんて機能しなくなります。
生きる希望まで失うくらい追い詰められてしまった少数派の人にとっては、自分の人権が認められないわけですから他人の人権など考える義理もないし、そんな余裕もないでしょう。

その境を引くことは容易ではないかもしれませんが、健康に生きる権利を保障するという観点からは、普通の人達に合わせていられない子供がいるからといって、副作用のある薬を飲ませておとなしくさせるという行為は、行き過ぎでしょう。

少し前の精神病棟で、患者を拘束具で縛り付けておとなしくさせるという対処法と変わりありません。薬という目に見えない拘束具で縛り付けているわけですから。

僕は、この自閉症の問題は、昔の様に自然の営みを大切にしながら普通に生きてきた人間達の生活ならば、十分に吸収できた問題だと思うのです。
それが出来なくなってきたのは、人間が自然の営みを軽視し、企業活動に合わせて都市化や核家族化を進行させ、自ら自分達の生活環境の余裕をそぎ落として融通の効かない社会にしてしまったからだと思うのです。

だから、これから何か対策を行なうのならば、医療で何とかしようとかケアを充実させて乗り切ろうとか、そういう先の見えない方向に進むのではなく、一歩足を踏み戻して自然に近づくという方向に進むべきだと思っています。

地球環境問題なども、そろそろ限界が見えてきていますよね?
科学技術の進歩で何でも解決できると思っている人達は、そう思っていない人達まで巻き込んで危険な賭けに身を預けるような態度を、少しは省みてほしいのです。

>>同じように、発達障害専門家という肩書きも、便宜上の言葉を使っている以上不適切ですし、仮にこの言葉を使ったとしても、何をもって専門家とするのかも明確ではありません。
>
>それであるならフリッツさんが『専門家』をなのるのも不適切ではないでしょうか?

そうだと思いますよ。だからフリッツさんが研究家を名乗っているのは、あまりにも肩書きを誇張する人達に対しての皮肉と捉えています。
まあ、フリッツさんは専門家ではなく研究家を名乗っていますので、僕は研究家=オタクと同じように思っているので気になりませんが。

>>しかし僕は、この発達障害専門家という言葉が、何も知らない普通の人にとっては、発達障害については何でも知っている、当事者のことについても当事者よりも詳しく知っていると思われてしまうことを憂慮しているのです。
>
>実際、当事者よりも詳しいかもしれません。
>発達障害は10人いれば10通りの100人いれば100通りのタイプがあります。

特徴の現れ方は人それぞれですが、その特徴を現す原因は少ないと考えています。
もしかしたらこれは僕の特殊な能力なのかもしれませんが、少しばかり無意識の世界が見えるので、ほとんどの特徴の原因を説明することが出来ます。

>当事者は、自分も含めて数通りのタイプしか知りませんが、医師や心理士は、多くのタイプと接します。
>そういった意味では、より多くの蓄えを持っていると思います。
>専門家とは、そのような人の事を指すのではないでしょうか。

>学会での発表は、学会員が行なうものです。
>この学会員のなかに当事者はいないかもしれません。
>でも、日々、多くの当事者と接している方です。

医者や心理士は、外に現れる特徴を客観的に見て情報を蓄積していくことしか出来ませんが、当事者は言葉や行動に現せない自分の中の現象を感じることが出来ます。
TONOさんは、自分の心の中にあるものが、全て形や言葉で表せると思いますか?
つまり人間の無意識の部分を全て解明できると思いますか?
当事者はそれを客観的に目に見える形で表すのことは出来ないのですが、その視点がなければいくら多くの事例を集めても本質を理解するには至りません。

僕が言う専門家とそうでない人の違いというのは、自分で考えを掘り下げることのできる哲学者と、歴史上の哲学者の哲学を研究して知識ばかりを蓄積している哲学者研究家、または哲学学者と言われるような人達の違いのことです。

>専門家と呼ばれる人は、少なくとも、発達障害の特徴や困難を理解し寄り添うことの出来る人(または、理解し寄り添おうとするひと)だと思います。

それは心理的に頼りたくなるという意味での専門家ですね。
僕は別にそういう人達を否定しているわけではありませんし、むしろありがたいと思っています。
問題なのは、そういう人とそうでない人の区別が、普通の人には付けられないということです。

僕も伝えたいことを全て言葉に出来るわけではないので、これ以上ここでこの話題を続けるのは無理があると感じていますし、特に問題がない限りこれで終わりにさせてもらいます。
一つの意見としてお受け取りください。

[#15511] Re:そういう事じゃないんです
 フリッツ藤井 メールホームページ  - 06/10/29(日) 14:36 -

引用なし
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   Lao Tzu さんみたいに、実際に診断を受けている人で、ここまで発達障害問題を客観的に捉え、理解している方は初めてです。

専門家は辞書に載っている公式なもので、研究家は辞書に載っていない非公式なものだとして、研究家を名乗っています。ちなみに、私が発達障害について考察するときはベッドに寝転がって頭の中で考えるだけで、紙も鉛筆も使いません。客観的に見たら、オタクを通り過ぎているかもしれませんね。

それに、自宅に引きこもってオセロの研究をしている人がオセロ研究家を名乗ったって別にいいんじゃないですか。プロアマ問わず研究しているんだから研究家でしょう。そんなことで騒ぎになるのは、人の欠点を過剰に見つけ出して、弱い自分を正当化しているに過ぎないと思います。

Lao Tzu さんは当事者ですよね?? なぜ、当事者の意見にここまで一方的に反発する人間がいるのかがわからない。アスペルガーの人がアスペルガーについて語っているのだから、一方的に消し去ろうとするような姿勢はどうかと思いますよ。

アスペルガーの館で有る意味一番重宝されなければいけない人種じゃないのですか??

大手親の会でも、成人アスペルガーの分別をしている親の会があります。つまり、肯定され一般人に受け入れられる成人アスペルガーと、否定され強制的に消される成人アスペルガーが存在するのです。

現段階では、日本のアスペ業界はメチャクチャと言わざるを得ないでしょう。なぜこんなことが全国的に問題になるのかがよくわからない。

Lao Tzu さんとは個人的にメール(f_fuzii@mail.goo.ne.jp)してみたいです。または、私のブログにコメントを書き込んでくれると嬉しいです。

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