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▼アンパンマンさん:
私は、将来、漫画家になるんだとずっと思っていました。
現在は、小説の方で、ごくたまに出版社からお仕事をいただいています。
対人で悩んでいた20歳までの間は、ものすごーく、話題の宝庫でした。
頭の中で、次から次へとお話しが湧いてきて、頭の中の登場人物達が自分を表へ出してくれと訴えます。
ですので、漫画を描かないと気が狂いそうでした。
20歳を過ぎたあたりから、仕事も友達も、他の趣味も充実しだしてくると、漫画はだんだん描かなくなってきました。
他へ興味が移ると、話が浮かばなくなってきました。
でも、他のことで充実しているので、漫画を描けなくなったことは、小さな事になってきました。
漫画が描けなくなったら死んでしまう!と、思っていたのに、今はそうでもありません。
これが自閉症者のこだわりであり、また広く物事を知ることにより、興味が分散し、こだわりが薄まったということだと思います。
アンパンマンさんは、広く世間を知ることによって、漫画が描けなくなる自分を恐れていらっしゃるようですが、それは確かに多少あるとは思います。
けれど、漫画を描くことって、私はこれでも本気で漫画家を目指していたので言えますが、「創作力」だけでは、どうにもならないものがあります。
発達障害者の突飛な発想は、それは、見る者を惹きつけるかもしれません。
でも、漫画の神様、手塚治虫をごらんなさい。
彼は、その突飛な創作力だけで漫画を描いていますか?
あの広い知識、専門的な知識、深い知識。
そして、人間をみつめる洞察力、思慮、ヒューマニズム、思想。
そんなものがあって、豊かな心があってのあの天才的なあの作品です。
私は、漫画家になりたかったので、色々な事を経験したいと思いました。
色々な知識を持ちたいと思いました。
ですので、現在、雑学は得意です。(^_^;)
でも、やはり医者としても博士であられた、漫画の神様の頭脳には足下にも及びませんよね?
子供の頃「漫画家になりたい!」と言ったら、周囲の大人は、皆、口を揃えて、
「あれは頭が良くなければなれない」と言いました。
今、本当にそう思います。
私は、小説の方で、プロでのお仕事もやるようになって、想像力、空想力だけではプロとしてやっていけないということをあらためて思い知りました。
構成力があり、背景を伝える能力があり、伏線をいかに利用するか?等々、作業は量り知れません。
今、私から見たアンパンマンさんは、まだ「突飛な発想」「空想力」の自閉のファンタジーだけで作品を描いておられるような気がします。
これだけで作品を描こうと思っても、やがては底がつきてしまいます。
底が浅いと、ヒットを出せる漫画家になったとしても、いつかは人から飽きられます。
そうなったときに、最後まで生き残れる漫画家になれるのに、モノをいうのは、いかに知識と、深い思慮と、広い視野と、構成力があるか?です。
感性は大事ですが、それ以外の方が実はもっともっと大事なのです。
「人として」どうあるべきなのか?
漫画の神様、手塚治虫は常にそう訴えてきませんでしたか?
人間としてどうでもいいけど、漫画を描きたい、なんてことは、してはこなかったと思います。
多少感性は削がれるかもしれませんが、最後まで残れる漫画家を目指した方が、後々のためだと思いませんか?
実力がついてくると、自転車を乗ることを何歳になっても体が覚えているように、感性と、構成力が伴う素晴らしい漫画家になれるかもしれません。
私はこのように思いますが、どうでしょう?
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