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まず、ヒデアキさん個人に宛てた書き込みでないことをお伝えしておきます。
発達障害者は、社会では弱い立場にいる存在です。
でも、1対1の関係では、必ずしもそうはいえないと思います。
また、世間では発達障害がマイノリティであっても、この掲示板では定型者がマイノリティです。
当事者からの反論覚悟で定型の方が意見を書き込むこと自体、勇気が必要な行為でしょう。
定型発達にもキャパがあります。
発達障害が定型の考え方を理解できないように、
脳の機能の違いを超えて、異質のものを理解する難しさは、定型発達にとっても同じです。
異国の人に日本人の気持ちを分かってほしければ、日本の文化や考え方を説明しますよね?
定型と発達障害って、異文化コミュニケーションのようなもの。
それが「無自覚なものをどう伝えればいいのか分からない」「当事者は苦しんでいる」では、理解ある定型もいずれは、「分からない者には近づかないようにしよう」となってしまう。
誰だって、人を傷つけたくないから。
当事者が「コミュニケーションの意味がわからない」と言っているように、
定型者は当事者に対して、何が違っていて、どうサポートすればいいのか。
学習していくしかない。
その学習は、当事者が自分を伝える、互いの努力なしではあり得ない。
私自身、共通の症状は理解できても、そうでないものには想像が及びません。
考え方の違う方から、「アスペルガーの館なのだから、当事者寄りの意見は許してほしい」と言われたこともありました。
でも、私も当事者として意見しているのに。
苦しんできたのに。
「辛いですね」と相手に共感すれば、当事者寄りで、「発達障害者にも努力が必要」といえば、当事者寄りとはいえない…?
私は何者なのだろう…と考え込んでしまいました。
症状が異なれば、生育歴も違っていて、
「障害に配慮を」という当事者もいれば、「克服しよう」という当事者もいる。
何を持って「原点」とするかは、人それぞれです。
理解するって、そんな簡単なことではない。
定型発達が発達障害を理解するというのは…今まで築いてきた常識や文化を壊してみる行為に等しいと思う。
「定型から理解を」ではなく、発達障害者自身も「定型の考え方を理解しよう」という歩み寄りの姿勢が大事ではないでしょうか。
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