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彩花さん!こんばんは!
いつも、彩花さんの文章の奥深さに、う〜ん!!と感じ入り、そして心がほかほかとさせられています!
>当事者からの反論覚悟で定型の方が意見を書き込むこと自体、勇気が必要な行為でしょう。
本当にそのとおりですね。私自身も初めて書き込んだときははらはらどきどきでした。活字って、自分が思っている本当のこととは違うところ(自分の表現の拙さ故のことですが・・・)が相手の心をちくりと突き刺してしまうと「どうしよう〜〜。」とおろおろ・・、とてもおっかないです。でも、自分がどんなに助言やアドバイスのつもりで書いても、それが届かなかったら、それは送り手の自分の責任!まずはごめんなさいだと私自身は考えています。
>定型発達にもキャパがあります。
>発達障害が定型の考え方を理解できないように、
>脳の機能の違いを超えて、異質のものを理解する難しさは、定型発達にとっても同じです。
>
>異国の人に日本人の気持ちを分かってほしければ、日本の文化や考え方を説明しますよね?
>定型と発達障害って、異文化コミュニケーションのようなもの。
>それが「無自覚なものをどう伝えればいいのか分からない」「当事者は苦しんでいる」では、理解ある定型もいずれは、「分からない者には近づかないようにしよう」となってしまう。
>誰だって、人を傷つけたくないから。
>
>当事者が「コミュニケーションの意味がわからない」と言っているように、
>定型者は当事者に対して、何が違っていて、どうサポートすればいいのか。
>学習していくしかない。
>その学習は、当事者が自分を伝える、互いの努力なしではあり得ない。
この場合、話題になっているのは、どうやら自分が当事者であることを全く自覚していない方のようですから、対応がむずかしいのかもしれません。
>
>何を持って「原点」とするかは、人それぞれです。
そうですね。私の場合は定型の側から、この発達障碍を理解しようとしたことが「原点」です。
>理解するって、そんな簡単なことではない。
>定型発達が発達障害を理解するというのは…今まで築いてきた常識や文化を壊してみる行為に等しいと思う。
そのとおりだと思います。他の方が書いておられましたが、子どもや配偶者、親族でもないかぎり、理解する必要性がないということですね。でも、少しでもみんなが生きやすい社会になれるように、社会がどうあればいいか?をみんなで考えていきたいです。
>「定型から理解を」ではなく、発達障害者自身も「定型の考え方を理解しよう」という歩み寄りの姿勢が大事ではないでしょうか。
そういう視点からも、両者が双方の立場で意見を出し合えるこのサイトは貴重だと思います。正しい意見なんてどこにもない。だからお二人の方が厳しく感じるけれど、率直な疑問をかいてくださったことをうれしく思っています。
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