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横から失礼します。
PAOさんへの返信ではないのですが、Chiquititaさんへコメントさせてください。
Chiquititaさん、こんばんは。
▼Chiquititaさん:
>
>問題は、ASやADHDが「障害」という観点で扱われることにあるでしょうし、そう感じている参加者はかなり多数に及ぶでしょう。
>発達障害は、身体障害や視力障害などと違って、環境によってはまったく障害にならない場合も多いと聞いております。つまりはASやADHDの「特徴」のうち、障害として扱うことで「特長」の部分をも否定する可能性があることが問題なのでしょう。
>それは、
>
>>義母も主人も専門職につき、お付き合いしている人もごく少人数で主に仕事関係の人なので、対人関係に支障はありません。
>>私もまったく気が付かずに主人と結婚しました。
>>主人は普段おとなしくよく人の話を聞き、趣味も含め自分の専門分野になると饒舌になる人だとは思いましたが、そんなところを尊敬していました。(笑)
>
>からも明らかでしょう。
>トーマス・エジソンの少年時代のエピソードも、ASを障害という観点で扱うことの問題点を焙り出しています。
以前、[#15403] で僕が言っていたことをご理解いただけたのですね?
良かったです。
自分のことをそういう風に思えるようになってくれば、どんどん自分のことが好きになってくると思いますよ。
人間は、与えられた特徴を生かして生きればいいのに、減点法で周囲から劣るところばかりを探して、それを障害だと思い込んで卑屈になるだけでは、アイデンティティーを確立するのに重要な自己肯定感が潰されてしまいます。
いろんな人間や動物や植物が生きれるのがこの地球なのだから、生まれながらにどんな特徴を持とうとも、そのままで生きてゆけば良いのです。
ありのままに人間が生きてゆけなくなってしまうのは、それはその人が悪いのではなくて、社会の許容度が狭くなって息苦しくなってきた証拠です。
多数派の利便性ばかりを追求して少数派が犠牲になってしまうという構図は、さながらアスベストの利便性を重視するがあまりに工場で働く人や周辺住民が健康被害を被ってしまうようなものでしょう。
つまり、これは障害ではなく公害なんです。
そう思いませんか?
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