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最近「長年じぶんを苦しめた夫が実はアスペだと知った」という内容の
書き込みを、ネット上で多く見ます。
私自身も離婚歴(元旦那はACで、精神的DVがひどかった)があり、
また身内にアスペがいたりします。
アスペ擁護でもなんでもないのですが、その両方を知る私としては
「アスペだから」家族を虐待するとか、不幸にするというのは違うなぁ・・・
という意見です。
それはあくまでも別々のものだと思います。
「わけのわからない言動」が、アスペには確かにあるかもしれない。
「通じない」寂しさが、パートナーにはあるかもしれない。
けれど
アスペ的言動と
DVとは
本質はまったく異なるものだと思います。
DVの言動というのは「矛盾」です。
本人の内側(心)に大きな矛盾があり、そこからくる不安定な情緒が
周囲を振り回し傷つける。
DVをする人は「一番身近にいる人を傷つけていなければ、自分の存在を
確認できず発狂してしまう人」だと(これは自己流の表現ですが)思います。
パートナーのいかんによらず、そうしてしまう。
これは、心の病気です。性格の病気といってもいいかもしれません。
アスペというのは、本人の内側に矛盾はないのです。
(そもそもアスペは急に「人が変わる」なんてことはない。ありえない)
その矛盾のなさがむしろ周囲を振り回す。
かたくなさや、もののわからなさ、思い込みの強さが実生活に影響する。
DVは、相手と一線を引くことができずに、土足で相手の心に踏み入り、
尊厳を傷つけ、とことん甘え、すがってくる。
アスペはむしろ、相手との一線を越えようにも、越え方がわからない。
最初から越える気もないし、越える意義も、その感覚もよくわからない。
「アスペであるからDVをする」人というのは、存在しないと
私は思います。
DVをする人が「たまたまアスペ」でもあったとしたら、その人の混乱は
もっとひどいものなのかもしれません。
自分の強いこだわりを貫くために、身近にいる人をとことん犠牲にしよう
とするのでしょうから。ご家族にとってはまさしく「地獄」だと思います。
けれどやはりそれ(アスペ言動とDV言動)は、一元で語られるべき
ではないと私は思います。
「なぁんだ、アスペだったんだ!」は、ひとつの答になるのでしょうし、
本人の苦しさ、生きにくさを理解したり、許したりするきっかけにも
なるでしょうけれど。
心の病気と、アスペという障害とは分けて考えなければと思うのです。
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