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▼トガリさん:
レスありがとうございます。
>う〜ん、私の少々のたち歩きを意識的に見逃す、というものと、この鉛筆の
>ことは、私からすると違うように思います。
>鉛筆のことは、単純に先生の価値観と比較して先生自身は気にしない、
>気にならないけれど、この子は気になるんだな、という風に感じているだけ
>のような気がします。この先生にとって自分自身が気にならないことを
>気にする人がいることが不可思議に感じるのではないでしょうか。
うーん、授業中、立ち歩くことと立ち歩かないこと、どちらが正しいと言えば立ち歩かないことですよね?
鉛筆をなくすこととなくさないこと、どちらがより望ましいかと言えばなくさないことですよね?
一年生はこれからの学校生活において基礎中の基礎です。私が担任なら両者とも、より正しい、望ましい方に導こうと努力すると思うのですが・・・そういう意味で教職員の意識が「甘い」「緩い」点で似ているのではないかと思ったのです。
>>でも、立ち歩きが意識的な見逃しの範囲内ということは、反面学級崩壊につながるような危険性もあるのではと思うのは私の杞憂でしょうか?
>
>少々の立ち歩き〜、という書き方をしたと思うのですが、「少々」というのを
>どんな風に想像するかは、きっと色々なんでしょうね。文章で表現するのは
>難しいですね。学級崩壊につながるかどうか、、は、どうでしょう。
確かに学級崩壊というのは極論かもしれません。
しかし、今は多い話ですからねえ。
「お宅のお子さんのせいでうちのクラスは・・・」といわれるかもしれないと思うとぞっとします。
>そういうこともあるかもしれませんね。
>ただ、私は一年生の教室を見ていて感じたことは、どの生徒も向上心が
>あって、先生からは褒められたい、認められたい、という気持ちを
>持っている、ということです。
>だからそういう気持ちをうまく育てることができれば、
>私は学級崩壊の方向にむかっていく、ということにはなりにくいのでは
>ないかと思っています。
だからこそ向上心を育ててほしいのです。
「みんなちゃんと座って先生の話を聞けているね。さすが一年生!!」
「鉛筆ちゃんとそろっているね。ものを大切にできて偉いね。」というように・・・
まあ、口で言うのは簡単ですが、そううまくはいかないのが現実だとはわかっているのですがね。
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