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ユニコーンさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。返信が遅くなってすみません。
ユニコーンさんのコメントで私の解りにくい文も分かりやすくなったようです。ありがとうございます。
>というのは、私はある意味で樹村さんに似た部分のある息子を持っていて、樹村さんがおっしゃるような場面によく遭遇したからです。
私も息子とのやり取りで(言う通りに聞いたとしても)失敗することがよくあります。
息子に怒鳴られて、なにを怒っているのか聞き、それが私に怒っているのではなく不機嫌なだけだと分かっても、怒鳴られれば怒りの原因が自分でないかと感じてしまい、それに対する反応をしてしまう。それで今度は本当に私が怒られる…そんなことがよくあります。
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>penpenさんの言うように、ときとして「表現が分かりにくい」という時もありますが、はっきりとNOと言ってもそう受け取ってもらえない場面も数限りなく見てきました。
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>それはウロさんの言うように、こちらの「想定」と違いすぎるからです。私を含め定型者はあらゆる場面でこうあるべき、という先入観があります。そこから外れた言動、行動、反応は理解できず、こうなんじゃないかな、と勝手に類推してしまいます。まさにウロさんの言う自分勝手な「心理分析」です。
ユニコーンさんの言われる「自分勝手な心理分析」は「思いやり」ですね。
通常はその想定が当たり、先入観というより、それが心遣いや場の空気を読むこと、暗黙の了解などの素晴らしい能力になるんだと思います。想定がもし外れていたとしても、それは思いやりのままで通じるものだと思うんです。
ところがASの立場からすると(みんながそうかどうかは分かりませんが)過敏な感覚に触れたり、外れていることを訴えても解ってもらえなかったりすると苦痛に感じてしまい、苦痛が強くなるととどうしても拒絶せざるをえなくなります。でも相手が良かれと思ってしてくれているのは分かるんです。それがなんとも申し訳ないことと言いますか、もどかしいと言いますか…
ASには逆バージョンが日常的にあり、ハズレっぱなしなので「想像力がない」ということになるのかと思います。
言われたことは真に受けるので通常考えればあり得ないこともその通り受け止めて、そのこともあり得ないこととして信じてもらえないこともあります。「わざとやってるの?」ってよく言われます。
想定が出来るということはラジオのチューニングが一つの局に合うことみたいだと思うことがあります。その例えで言うと私は一つの局に合わせることが出来なくて別の局の話をしてしまっていることがあります。
そんなふうなので却って決まり切ったことに頼り融通が利かなくなったりします。
お決まりから外れると後は茫洋として手がかりがなくなるので些細なことまでルールにこだわったりマニュアルに頼る度合いが強くなったり決まったことから外れるとパニックになるのかなあと思います。
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