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▼風来坊さん:
今月の「光とともに…」で、アスペの少年が、
ケガした時に先生から「痛くないよ」と言われて、「そりゃ、先生は痛くないよ。ぶつけたのはオレだもん」と返し、「ちょっとぐらい我慢しろという意味だよ」というシーンがありました。
「そのぐらい大丈夫」といわれても「自分が痛いのに、なにが大丈夫なのさ?」というのが、アスペの心境かもねえ。(^_^;)
>自分が落ち込んでいるとき、人から声を掛けられてもピンとこない。周囲はいろいろ心配して言ってくれているのかもしれないし、適切なアドバイスを言ってくれているのかもしれない。または、全然相手にされていないのかもしれない。
昔はね、私は相手の心に添うレスを心がけていたのよ。
「それは辛いでしょうね。お気持ちわかりますよー」というような。
そうするとね、相手も喜んで下さったし、辛いときに「辛かったね」と言われると、ホロっとくるものもあるでしょう?(風来坊さんは無いかしら?)
そうねえ。私なんかは、自分が疲れてるのか、悩んでいるのか、自分でもわからなくなる人だから、人から「今、疲れてるでしょ?」と言われて、「あ、そうだったんだ」と、気づけるから。
たまに、そう言われるのもいいんだけれど、
ただ、つっぱっていなきゃ、自分を保てないときに、「辛いでしょう?」と言われたくないですねー。
その言葉に頼っても、相手だって甘えられる限界があるわけだから。
相手は私の全てを保障してくれるわけではなく、結局行うのは自分だから。
そんな自分がいるもので、最近は、ついつい相手にも「辛いでしょう?」と共感するより、「それより、こう考えては?」と持っていくのが多くなったわね。
一時的に「辛いでしょう」と言っても、問題が解決しない限り、山は越えられないわけで、言葉で慰めてくれる方は、そこまでは保障できない。
山を越えるのは自分。
なら、その山を越えるためのエールの方が欲しいなあ。
出来るって、信じ込ませて欲しいなあ。
と、考えたのですが、スレのご質問から、それてますか?
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