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樹村さん、こんにちは。
>>それはウロさんの言うように、こちらの「想定」と違いすぎるから
>
> そうだろうと思います。別にアスペや私に限らず、一般にそうで
>すよね。
レスありがとうございます。確認できました。
> ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の有名な言葉
> 「多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない」
>
> マゼランの有名エピソード「見えない船」
> http://plaza.rakuten.co.jp/sasoimizu/diary/200607010000/
>
>とかを見ても、そう思います。
二つのエピソード、興味深かったです。
私は他の人と見たいものが違うのかな?と思うことがよくあります。
「マゼランの見えない船」は自閉症の人がを見たら、見えるのか見えないのか、その中でもそれぞれなのか、についても興味を持ちました。
会話例の方は強引ですね。樹村さん以外の人とそういう話になったらどういう展開になるのか聞いてみたいと思いました。
でも餅屋と聞いて即、和菓子屋と断定することはある意味感心しました。
(これは想定の絞り込み力が強すぎるのでしょうか。仕事上有効であることも多いかもしれません。もしかすると「察しがいい人」「気が利く人」で通っていたりすることもあるのかもしれないと思いました)
私は餅屋と聞いて取り敢えずお餅しか思い浮かびませんでした。
(想定の絞り込みが出来ないのでそのままにしか聞けないのかもしれません)
次に赤飯と聞いて「ああ、なるほど、お餅と赤飯を作ってるだな」と思いました。
ちなみに家の近所にお餅と赤飯しかやってないお餅屋さんが私が知ってるだけで2軒あります。和菓子は作ってなくてお餅と赤飯と仕出しをやってるところもあります(どうでもいいことだと思いますが書きたくなる)
電話で「お母さんいますか」と言われて即座に母親と代われたり、「お鍋を見ておいてね」と言われて頃合いを見て火を止めたり出来ることの極端な形と見ることも出来るのではないかと思いました。
船が見えないのと見る前にそれが何であるか決めて見る必要を感じないのとは近いのかな?…また考えてみます。
以上、他の当事者の所感及び症状でした。
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