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▼ウロさん:
返信が遅くなってすみません。
>>珈琲餅さんの“演技の勉強がいいのではないか”というアドバイスは
>>わたしはとても的を得ていると思いました。
>演技というと私はたぶんもっと他のことを認識しますので表現や印象のためのトレーニングと解釈して宜しいでしょうか。
そうです。
>印象をコントロールするための表現、例えば姿勢とか声音とか口調といったことは身に付いてしまえば考えなくて良いし余計な深読みは誘わないかもしれないと思います。
そうですね。
自分の真意を相手に誤解されずに伝える技術です。
真意を伝えるためにはまず自分で自分の伝えたいことを
ちゃんとまとめているというのも大事ですが…。
>表現が誤解されることで言えば、私も相手がそのような印象を受けることについては自分の表現が原因であることを考えます。
わたしもそうです。
>表現からの誤解については私も相手に怒りを感じません。自分に対しても。
>そういう事実をあるパターンとして覚えます。
>「あー、失敗したなあ」と凹むことはありますけど、解決方法を考えます。
>解決の試みは自分の非を修正することが一番やりやすいというか、それしかできません。
わたしもそうです。自助努力をします。
>協力が必要と思った相手(主に家族)には相手の理解も求めています。
家族は、まあ仕方ないでしょうね。
>一部樹村さんが強者の理論だとお思いになった箇所は、私はちょっとコントのように思って読みました。penpenさんの表現は私にはユーモアと思えることがあります(これは私の印象です)
わたしも多少はジョークのつもりでしたが、理解されないところが想定の違いというものかもしれません。
セクハラはされるものじゃない!するもんだ!とか、ね。
>私は感覚の説明は誰にでもするわけではありませんが、必要に迫られてする時は「へーー、そうなのー」とか「あなたはそうなのね」と言って頂ければいいです。実際そう言って頂けることも割とあります。
感覚の違いはたまに必死で訴えることもあります。
仕事だと必死になりましたが
いっぱんの友達づきあいだとちょっと甘えが出て
日程を決めるのはは友達任せとか、会計係にはできるだけならないとか…。笑
そのかわり、文句は言わないようにしてます。
>先入観は誰にでもありますが、固定観念に妨げられず自由な思考をしたいと望んでおられる方は存外多くいらっしゃるようですよ。
それはそうなんですけれどね、自分が自由な思考をしているとも限らないと
思うので人にも要求はできるだけしないってとこですね。
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