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▼penpenさん:
お返事をありがとうございます。
>掲示板のみなさんとお会いできたのですね。(=^・^=)
掲示板を読んでいる方、話を聞いてから声をかけていただいた方、本当にたくさんでした。中には「あなた方がアスペルガーの館の管理人ですか!ついに会えた!嬉しい!!」と言われてビックリしました。
本当に多くの人に掲示板を読んでもらえているんだなぁ、と思いました。
>>辻井先生とニキさんという、以前から知っている人たちと出演できて楽しかったです。
>
>豪華メンバーですね。
豪華ですよね。私はお二人の後ろにくっついていた感じです。
>おばあさまもおかあさまもかなりインパクトが強いですよね。(=^・^=)
>さすが、です。
懇親会の時に何人かの方から「お母さんのことを教えてください」と声をかけられました。「身内だから、一緒にいて大変だったことがあったけど、療育を一生懸命した点では尊敬している」と話をしました。
>コスモスさんは論理的思考が目立ちますね。
>直観力もありますが…。
>ちょっと占い師みたいです。
>オフ会の時にうちの家族全員の写真を持って行ったら、
>写真を見ていろいろ分析していただいてびっくりです。
>わたしも知らなかったあれこれをばっちり当てていただいておもしろかった、もといびっくりしました。
>penpenさんのおとうさんは写真では笑っているけれど、口の端が下がっている、それはいつも口のへの字に曲げている癖がついているからで、この写真を見ては和やかな人には思えない、etc…。←大当たりでした。うちの父は会った人は10人が10人ともやさしそうねえと言いますがほんとうは全然違います。
>たぶん、コスモスさんの場合、直観に限りなく近い論理思考なのだと思います。
そう言えば以前「発達障害とメディア」に載せる対談をした時に「コスモスさんがやっていることって推理小説で状況証拠から仮説を立てて検証していく作業に似ているよね」とニキさんから言われたことがあります。
勘が鋭い、ということばを自閉症やアスペルガーの人の間でよく言われますが、私はそれだけではダメだと思っているのです。どうしてそう思ったのかを第三者(できたら知識がない人)に説明し、相手に納得してもらえるかが大事だと考えています。
>でもたぶん、もともとの資質も違うかもしれないですね。
>そのあたり難しいところというか、同じ発達障害でも
>出発点も環境も能力も結果もみな違うのだろうなあと思います。
当日は工夫していることについてあれこれ話していました。それと同時にニキさんと私の情報処理の仕方についても触れました。
ニキさんは経次処理が強く、一度に1つのことをやるタイプ。だから何か1つの動作をしているとそれを確認することがとても難しいそうです。反対に私は同時処理が強いので一度に処理できる情報量が多いタイプです。そのため大分生活の対処法に差が出ています。
注意の切り替えにも差があるようで、睡眠なども私は「寝たい(会場ではお休み5秒と言いましたが)」と思ったらすぐに熟睡できますが、彼女は寝付くまでに時間がかかるそうです。
>突っ込みはお上手そうです。(=^・^=)
会場では彼女が言っていることを整理する感じで話していましたね。「それはその年齢だと定型発達の子でも難しいことだから、できなくてもニキさんは悪くないよ」とか。
>当事者の話は多面的に聞かないとほんとうのところは
>わからないように思います。
>その意味で対談はいろいろ得るところが多いように思います。
ニキさんとも「定型発達の人だって多種多様だし、統計などでも最低30ケースは集めないとデータの信頼性は得られないって言われているんだから発達障害のケースだって同じよねぇ」という話になりましたね。
>いえ、だめ妻ではなくよすぎる奥様なのではないでしょうか。
>とても反論できない、とか…。
>そういえばシンユウさんも孤立型と受動型が少しということでしたが
>印象的にはやさしそうな感じです。
>
>受動型と孤立型、積極奇異というアスペルガーのタイプについてですが
>どうなのでしょうか。
>最近、気になります。笑
>わたしの感じだと純粋に受動型だけとか、孤立型、積極奇異だけというものでもないような印象です。
>いろんな症状がそれぞれまじりあって
>外見的な印象と内面的な部分を決めているように思います。
>内面と外面が一致しているとも限らないし、
>同じ積極奇異でも同じ行動を取るわけでもない、
>第一、アスペルガーという共通部分が非常に大きいから
>それぞれのタイプを決め付けすぎるのは誤解の元のように思います。
そもそもアスペルガーや自閉症の人の対人関係の基本姿勢は「自分が関りたい時だけに人と関る。そして相手が自分の思い通りに反応してくれるのは当然。思い通りにならないのは相手や周囲の環境が悪い」ということだと思います。
それを無理やり押し通そうとすると積極奇異的になり、相手から言われたことに「あんたがそうしたいんでしょ」と関ると受身的になり、人と関る時に厚いバリアを張ると孤立的になるのでしょう。
だから状況によって同じ人でも孤立型の要素が出たり受身型の要素が出たり積極奇異型の要素が出ることがあるでしょう。また、同じ人でも孤立型の要素が強く出る時期、積極奇異型の要素が出る時期、ということもあると思います。
私も小さかった頃は孤立の要素も強かったし、積極奇異型の要素が強くなったのは音声言語というコミュニケーションツールを得てからです。夫も若かった頃は積極奇異の面があったと言っています。
あと、確かにpenpenさんが指摘されたように自分がやっているイメージと相手が感じたイメージが食い違うことはありますね。私もビデオに撮った自分の言動を見て「自分ではできていた、と思ったけど全然できていない…」と愕然とした経験もあります。
最近はコーチングの勉強会でコーチ役(質問などをして相手の話を引き出す役)とクライエント役(話をする役)とオブザーバー役(やり取りを観察してコーチ役に感想を伝える役)に分かれてエクササイズをするのですが、この経験をすると自分のコミュニケーション・スタイルを客観的に確認することができます。
誰でもそういう面はありますが、特に発達障害の当事者は第三者としての視点は比較的冷静になれますが、自分が絡むととたんに難しくなります。だからこういった他者からの視点というのを上手に取り入れられるトレーニングが欠かせないと思います。
penpenさんが別スレで指摘した演技の勉強、というのもそういう意味でおっしゃったのだと思いますが、どうでしょうか。
>最近の樹村さんとのやりとりで思うのは、
>ギブアンドテイクでこの掲示板に情報提供をしたい、という善意は疑わないけれど、
>情報の提供の仕方に問題があるのではないかということです。
これは私個人の意見ですが、この掲示板はそもそも会社や学校と違って自由意思で参加するところです。書きたい人が書き、読みたい人が読む−それでいいと私は思っています(ただし書いた以上は責任を持ってほしいとは思いますが)。
最近はギブアンドテイクという価値観よりもGive and Given(見返りを求めずに色々なものを提供すると結果として与えたもの以上のより大きなものがえってくる、という意味)やWin-Win(勝ち負けという考え方ではなく、一緒に勝つ、共に成長する)という考え方に賛同します。少なくともその方が私は気持ちがいいです。
一昨日も「こだわり」について質問があったのですが、私は好きで始めたことでも"want to(〜したい)"が"have to(〜しなければならない)"になったら要注意だな、と思っています。だんだん苦痛になる、楽しくなくなるというのが私の中での危険信号です。
そうなったら一度原点に立ち戻って「私は本当にこれがしたいんだろうか?」と聞いてみることにしています。その結果がどんなものであってもそれは自分の意思で決めたことだから、気持ちがいいんですよね。自己責任ってそういうことだと思います。
>樹村さんの場合、ただの一当事者としての発言で充分に価値があるように
>思うのですが、いかがでしょうか。
私もそう思います。
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