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[#16859] 認知療法? じゅんこ 06/12/27(水) 22:47 [未読]

[#16862] Re:認知療法? トガリ 06/12/28(木) 1:46 [未読]
[#16867] Re:認知療法? じゅんこ 06/12/28(木) 10:20 [未読]

[#16862] Re:認知療法?
 トガリ  - 06/12/28(木) 1:46 -

引用なし
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   ▼じゅんこさん:

はじめまして、こんばんわ。
「認知療法」という言葉は初めて聞きましたが、
もしかすると私はそれに近いものを知人やカウンセラーから
受けていたような気がします。
今から4,5年前のことですが、息子が幼稚園の年中の時、
発達障害について私は全く知りませんでした。
息子は私にとってはとても育てにくい子供に感じたし、また幼稚園への
登園渋りも相当なもので、ものすごく悩んでいました。
その頃に知り合った方が、たまたまカウンセリングの勉強をしたことが
ある人で、その人自身もかつては子育てに悩み、自分の考え方を
見直したという経験のある方でした。

この人からは自分の無意識を意識することが大切だと教わりました。
全てのことに対し、私自身が選択を行っている。それは無意識にやっている
ことの方が多いが、その無意識を意識しなさい、ということでした。
この時にとても単純で実行しやすかったものの一つが、
「ありがとう」と「すみません」の使い分けでした。

私はその人が私にお茶を入れてくれたことに対して「あ、すみません」と
言いました。するとその人は「ここは”ありがとう”と使う場面だと
思うの。」と言いました。そして私はなんでもかんでも「すみません」と
言う癖がついてしまっている。(無意識に言葉を発している)
でも場面に応じて「ありがとう」と使った方がいい場合がもっと多いはずだと
言われました。そこでこの日から現在に至るまで私はこの二つの言葉を
使う時はとても意識を働かせて選んで使っています。
これの効果は自分でも驚いたのですが、助言を受ける以前は、
私は自分は他人に迷惑をかける存在という認識が強かったのですが、
現在は他人から随分と沢山の親切を受けている「私」へと変わりました。

また当時は私は息子にたいしてやたらに怒ってしまうことをなんとか
やめたいと思っていたのですが、それができずにいました。
「怒ることを我慢してやめる」というのには無理があり、
結局ストレスがたまって爆発してしまいます。
そこで教わったがセルフカウンセリングで、怒ってしまった場面記述と
その時の自分の感情、気持ちをわけて書いていくということでした。
こうすることで、自分のことを客観的にみることができます。
これで怒りの原因を探りました。それと同時に私にとっては苛立ちに
感じる息子の行動などは、視点を変えてみれば全然苛立つことでも
なんでもないよ、ということを一つ一つ教えてもらったりもしました。

例えば5歳頃の息子は四六時中私に向かって「だっこして!」と
要求をしていました。家事をやっている途中だったりして、
「ちょっとまっててね」などと言ってみても息子はほんの数秒後には
「だっこ!!」と絶叫します。私にしてみると今私が洗濯物を干しているのは
見てわかるだろう、それならそれが終わるまで待つぐらいしてくれ!という
気持ちで怒りが沸きます。この時は待つことが当然だという考えが無意識で
ありながら私の中での当たり前なっています。この待つことが当然、という
考え方を、子供の要求は出された時にすぐにできるだけ応えてやりたい、
という考え方に変えるように意識します。これがうまくいくと、洗濯物を
後回しにして、すぐに抱っこをしてやることができたり、息子が私が
抱っこをしてやるまで「だっこ、だっこ、だっこ」と言い続ける
ことに対して、苛立ちは沸き起こらなくなってきます。むしろ頼まれて
すぐにきいてやれなくて悪かったな、という気持ちになります。

これは私にとっては自然にはできることではなく、
常に意識のすり替えというのでしょうか、そういうことをやらないと
いけません。でも自然にはできなくても物事をいいように意識をすり替える
手段を知るだけでも役立ちます。

他にも個別の担任が息子に対して行っている、「やりたくないことでも
やろうと自分で決心できるようにしていこう」というものなどは、認知療法に
近いのではないかなと思います。
自分で決心をした、と息子が意識できることがポイントで、これが意識でき
ないと、息子は「無理やりやらされた!」と学校に対しての怒りが
沸いてしまいます。でも息子が自分で決心してやれたんだ、と意識できると
やりたくないことだったけどやることができた自分にものすごく満足を
感じるようです。(先生がこれを認めて褒めてくれることによって満足できる)

長々と書いてしまいましたが、私は知人から色々と教わる前までは
自己否定がとても強かったのですが、今では自己否定はかなり
薄れたように感じています。
また子供とも楽しく過ごせることのほうが多くなりました。
自分で悪いように認知してしまうことでたまってしまうストレスも
軽減されてきたように思います。

[#16867] Re:認知療法?
 じゅんこ  - 06/12/28(木) 10:20 -

引用なし
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   トガリさん返信ありがとうございます。

>「認知療法」という言葉は初めて聞きましたが、
>もしかすると私はそれに近いものを知人やカウンセラーから
>受けていたような気がします。

>そこで教わったがセルフカウンセリングで、怒ってしまった場面記述と
>その時の自分の感情、気持ちをわけて書いていくということでした。
>こうすることで、自分のことを客観的にみることができます。
セルフカウンセリングというと、自分で自分をカウンセリングしていく理論ですか?私も勉強中なのですが、医療の現場で患者さんに自分の問題に自分で気づいてもらって、治療に積極的に参加してもらうことをねらいにつくられた「ヘルスカウンセリング」の流れに基づいて書かれている本に
「親と子の心を繋ぐ聴き方・話し方 50の知恵」
というのがあります。子育て支援の一環として、保護者対象の勉強会を開催しておりまして、上記の本を一緒に読み進めながら、自分の子育てを振り返ったり、悩みを出し合ったりという時間をすごしています。毎回5人くらいの方が参加して下さっています。トガリさんが子どもへのいらだちや怒りの気持ちをコントロールするということを学ばれたことと同じように、「私はこどもを支配しようとしていたんだ」と気づいたり、実際に黙って子どもの言葉に耳を傾けてみるなどを実践してみるなど、お母さん方の学びの時間になっています。
>これは私にとっては自然にはできることではなく、
>常に意識のすり替えというのでしょうか、そういうことをやらないと
>いけません。でも自然にはできなくても物事をいいように意識をすり替える
>手段を知るだけでも役立ちます。
そうですね。きっと認知療法はそのあたりをきちんと勉強できるものなんだろうなと思います。

>長々と書いてしまいましたが、私は知人から色々と教わる前までは
>自己否定がとても強かったのですが、今では自己否定はかなり
>薄れたように感じています。
>また子供とも楽しく過ごせることのほうが多くなりました。
>自分で悪いように認知してしまうことでたまってしまうストレスも
>軽減されてきたように思います。
ありがとうございました。「自分が存在していることに安心できる」という自己肯定感を持てないお子さんが多いのは、親である私達自身がこの自己肯定感と無縁に生きてきたということの連鎖なのだとつくづく思わされます。発達障碍がないおこさんは、自分を守るために大人の前でいいこを演じたり、友達をけなしたおして自分を保とうとしたりする姿がみられます。
 目にみえない心だからこそ、目の奥にある輝きやなにげない子どものしぐさや、送迎の際にお母さんと交わす言葉からいろんなSOSを察知できるアンテナをはっていたいと心から思わされます。

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