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▼フリッツ藤井さん:
返信ありがとうございます。
ただディスレクシアがあるもので、話題が転々とする文章だと結局何を言われているのか分からなくなってしまう事がありますので、できればまとめとしてワンフレーズで書いていただけると助かります。
また、ご指摘の対象とする文章を引用して書いていただければ、読みやすくなります。よろしくお願いします。
>なぜあなたが研究者として活躍していないかが私にはわからない。東大にたくさんいると思いますよあなたみたいな人。
僕みたいな人は必ず東大に行って研究者になければならないのでしょうか?
残念ながら、それは僕の希望ではないのです。
>アスペの人で風俗嬢で高級取りはいないこともないですよね。でも、行き詰るのは目に見えています。私は、あなたの人生はこれと同じ原理だと思いますよ。少年時代に家庭に恵まれず、一時的なスパークを求めて後が大変ではリタリン(合法)やコカイン(非合法)ともあまり変わらないような気がします。
ごめんなさい。風俗の世界は覗いたことがありませんので、どこがどう同じ原理なのか理解できませんでした。
でも、南米では合法的なコカの葉(コカインの原料)は食べたことがありますが、あれなら一時的なスパークではなくマイルドに口の中に効き目が広がりますよ。もしまだでしたら、是非お試しください。
>アスペの場合、継続的な稼ぎ方が重要ですよね。なぜなら、アスペの特性は一生継続するからです。
>ただ、これからはいい意味でスパークして研究、開発して、一生分のお金を稼いでしまおうという世の中になってきます。だけど、あなたの場合、この場合のスパークとは違いますよね。
そんなに人生が全て計画通りに行けばいいですけどね。でも、一生分のお金なんか稼いでしまったら、その後がつまらないと僕は思います。
それにお金の価値なんて、時代によって変動するものですから、いくら稼いだって安心できないと思ってしまうのです。
ノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けていたことが発覚して辞任に追い込まれた過去があるような日銀総裁の一声で貨幣価値が変わってしまうのに、よく普通の人は安心していられるなぁ、と不思議でなりません。
>あなたが見ている理系の世界は、数学のできない専門学校レベルの理系の世界ではないでしょうか。
H−2ロケットが専門学校レベルの技術で開発されているとお考えですか?
一度、種子島にでも見学に行ってくることをお勧めします。
>それに、科学や芸術分野の偉人が精神疾患的なところがあるのはあたりまえでしょう。私がいいたいのは、精神疾患的なものを伴っても生きていくことが大事だといいたいのです。でも、今のところ確信犯的にアスペの診断を受けた人を聞いたことがないので、それがない。つまり、精神疾患になってアスペと診断されていてうまくいっている人がいない。
精神疾患の分類がされるようになったのはつい最近のことです。過去の人達が分類され診断されていないのは当然ではないでしょうか。
これからは診断を受ける科学者や芸術家ももっと出てくると思いますよ。
>一度も科学者や大学教授と議論したことの無い人が理系世界を語るのは、井の中の蛙大海を知らずといいます。
あまり言いたくはないのですが、叔父が大学教授で子供の頃からよく話しを聞かせてもらいました。失礼ですが、フリッツさんはどのような世界を指して理系世界と仰っているのでしょうか?
>ファラデーが成功したのは、確かに数学ができなかったからだという説はありますが、それは単純に電球の無い時代だからではないでしょうか。
>それに、ファラデーは自分からアスペ気質で数学を排除したのではなく、貧乏で学校に行けなかったからですよ。
>アインシュタインも数学ができないから相対性理論に結びついたなんていわれますけど、それはプロ同士のレベルでできないという話であって、この人が数学が全くできなかったわけではないですよ。
>または、あなたがこだわる数と図の関係は微積分のことではないですか?それとも、カナータイプの世界の話だと思いますよ。
僕は貧乏というわけではなかったのですが、ディスレクシアやディスグラフィア、計算が苦手などの学習障害があって、学校の授業をおとなしく受けていられなかったのです。
また「プロ同士」などの抽象的表現ではどのようなことを言われているのか分かりません。
僕の言っている数学的思考とは、数学的直感主義に近いかもしれません。
>結局、いくらアスペとはいっても、カナータイプと違って、単純に評価されるかどうか、親に受け入れられるかどうかなどの社会的なことが大きいわけで人間論的なことが大きいと思います。アスペは人間の感情、親の愛情を人並み以上に理解して感じることができるわけですから。アスペって疑い深くて読心術に長けているような人が多いですよね。こういうところが精神疾患につながっていませんか??
僕は、他人からの客観的評価ばかりが人間の価値ではないと思います。最終的には、自分で自分を適正に評価して自己肯定感を持つことが、健全な人格形成のためには重要だと思います。
だからといって教育が必要ないと言っているわけではないですよ。教育の目的が、客観的に評価される人間の機能性を伸ばすことに置かれるのではなく、内面の人格形成に置かれるべきだと言っているのです。これは、方法は違う必要があるかもしれませんが、自閉圏の人だろうが普通の人だろうが同じことです。
確かに自閉症の人が読心術に長けているというのは当たるかもしれませんね。僕も他人の心の裏側が見えてしまうのが怖くて、最近まで人の顔を見て話しをすることができませんでしたから。
でも、どんな人間にも裏表があり、穏やかで優しい部分と暴力的で残酷な部分が共存しています。自閉圏の人は、その他人の心の裏側が見えてしまうからこそ、人間誰しも持っている負の部分を受け入れられるようになっていかなければならないのです。
僕が人格形成を最重要と考えるのは、自分の中にもある負の部分を受け入れられるようになることで、他人の負の部分も受け入れることができるようになって、その人にとってより生き易い精神状態に到達することができるからです。そしてそれは、例え精神疾患を患うことになったとしても、乗り越える価値のあるものだと思います。
何故ならそうでなければ、それこそ一生温室のような環境でないと生きることができなくなってしまいますからね。昔から「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とよく言われるのは、こういう価値を理解できるようになるための教えだと思います。
僕なんかは、わざわざ買わなくてもただで苦労が手に入ってしまったので、今では逆に感謝しているくらいですよ。
ただ、これは苦労しろと言って他人が勧められる類の話しではないですし、普通は宿命的に経験することですから、周囲の人間が故意に苦難の道を敷いていいと言っているわけではないので誤解しないでください。
精神的耐性には限度があるでしょうし、人によっても差があるので、周囲の人はそういうことを理解してあげることで適切な対応をしてあげる必要はあるでしょう。
特に子供の場合は、親がそのような配慮をしてあげることが必要だとは思います。
でもそれこそが、一般に言われる愛情ですよね? だから、そういう親の愛情が必要であるということは否定しているつもりは全然ないですよ。
それともフリッツさんは、そういう温室みたいな環境を整備して、一生温室で暮らすことを自閉圏の当事者に勧めているのでしょうか?
フリッツさんの仰る愛情というのは、無条件に受け入れるだけの優しさを指すのでしょうか? 理解することは大事だと思いますが、愛情というのは時に色々な形で現れるつかみどころのない感情だと思います。言葉や形で捉えることができないからこそ、愛だと思うのです。
余談ですが、それを考えると愛国心を国の法律で定義する行為は、なんともバカバカしく思えますね。国を愛する心を説くなら、先ず最初に愛というものを言葉で定義して欲しいものです。これまでにも詩人や作家が果敢に表現することを試みていますが、我欲の塊のような政治家の人達がそんなことできるとは到底思えませんけどね。
コメントが長くなりましたので分割します。
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