アスペルガーの館の掲示板

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[#1677] 他愛のない話で失礼 Chiquitita 04/11/24(水) 0:20 [未読]

[#1702] Re:他愛のない話で失礼 はじめまして@kwai 04/11/25(木) 9:44 [未読]
[#1720] Re:他愛のない話で失礼 Chiquitita 04/11/26(金) 2:49 [未読]
[#1763] Re:他愛のない話で失礼 kwai 04/11/27(土) 6:11 [未読]
[#1765] Re:他愛のない話で失礼 Chiquitita 04/11/27(土) 9:36 [未読]

[#1702] Re:他愛のない話で失礼
 はじめまして@kwai  - 04/11/25(木) 9:44 -

引用なし
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    Chiquititaさん、お早う御座います(一応書き込み日時に合わせます)。
縁あってこの掲示板に迷い込んだものです。

 自分も、世間一般に云う「社会」の中でこの十年以上、言い知れぬ疎外感を
抱えて参りました。私の場合は、身体障害は一切御座いません ─ 尤も、それは
あまねく一般的な他者の判断に因れば、ですが。敢えてそう謂うのは、私は
周囲の人間からは何ら以上の無い「健常者」と捉えられており、且つその様に
今現在、社会に存在しております。
 けれども、幾つか他人には解らないであろう「欠陥」は認識しております。
例えば、人の顔を覚えられません。─ 名前ならば百でも千でも覚えられる
のに、それが「顔」に直結するのは精々数十人に過ぎないのです。…それも、
「表情」となるとからきし駄目です。少し笑っただけで、トレンディドラマの
俳優さえ名前が一致しません。無論、それも程度の差なのですけれど…。
 “程度の差”と云うのは、逆に「文字」の様な記号であれば幾らでも
判別できるのです。記憶できるのです。現に私の頭の中には様々な言語や
発音が古今東西に拘らず記憶されています。

 “ならば才能を活かして社会で活躍できそう”です…
が、現実にはそう上手く行きはしません。何より、先に述べた通り
常に「疎外感」と共に在るからです。「自分は異質な存在」、常に
悩んでいた。親しいハズの友人達と、別れた後の自室での泥の様な
疲労感…、嫌悪感。
 以前は、「何故、他人(ひと)はそうなんだろう」
     「何故、そういう風に生活(活動)できるんだろう」
…それ自体が不思議でなりませんでした。だからこそそうした疑問に
傾倒した。何故、「人」は「人間(ひと)」なのか、何がそれを証明するのか、
─ そうした事に対して興味を抱く事で、一定の「安定」を精神に
獲得した様には思います。

 今は、改めて実社会の「他者」へ向き合う事を余儀なくされています。
まったく皮肉なもので、むしろ滑稽ですらあります。何しろ根源の疑問に
対して一定の答えを得て尚それに向き合わなくてはならないのですから…!
言わば永遠のテーマですよ、「なぜ人は人を不幸にする、その種の
殻に気付かないのだ!」それが私にもあるならば、他者のそれと何処が
違いましょう…? ならば何故気付いてくれないのですか? 何故、
 なぜそれをわかろうとしないのですか。過去とか歴史とか民族とか、
でっち上げだって構わない事に 何故 拘るかと云う事に、
…気付こうとしないのですか。

 人間はむしろ、美しさより“醜さ”を評する点にこそ、「人間」の
意義は有る様に思うのです。誰しもが優る世界の中で、人は幸せに
なれるのですか…? 「自分の弱さを省みる」って何でしょう、
それは、他者に証明されなければ分からない事なんでしょうか…
むしろ、そこにこそ懸念を抱かざるを得ません、私にとっても、
私を取り巻く他者にとっても…。


 関係無い話しですが、田中ユタカという漫画家の「愛人」(AI-REN)と
いう作品はご存知ですか? あれは中々良い。一つ、印象深いキーワードを
挙げておきましょう。

 「世界は人殺しの夢で出来ている」

 無論、ペシミストではありませんよ、私も彼も。


 機会有らばハンドル名なども明かしましょう。


#変身願望は、環境差はあるにせよ実は誰にでも生じる可能性はあると
思います。「自分には特殊な能力がある」って事を信じていることだって、
ある点では似ているのかも知れません。むしろ、誰しもが実は疑問を
抱かずにそれを抱えているかもしれません、「個性」とか「自尊心」と
云う形で。
 ただChiquitita様の場合は、仰ると通り環境に由来する部分は
否めないかとも思います。
 自分も、奇異な目で観られる事が日常的になるにつれ症状が亢進して
しまった点があるので…。未だ、時々「自分が自分で無くなったら…」
という妄想にとり憑かれます。

[#1720] Re:他愛のない話で失礼
 Chiquitita メールホームページ  - 04/11/26(金) 2:49 -

引用なし
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   レスありがとうございます。

▼kwaiさん:
> けれども、幾つか他人には解らないであろう「欠陥」は認識しております。
>例えば、人の顔を覚えられません。─ 名前ならば百でも千でも覚えられる
>のに、それが「顔」に直結するのは精々数十人に過ぎないのです。…それも、
>「表情」となるとからきし駄目です。少し笑っただけで、トレンディドラマの
>俳優さえ名前が一致しません。無論、それも程度の差なのですけれど…。
> “程度の差”と云うのは、逆に「文字」の様な記号であれば幾らでも
>判別できるのです。記憶できるのです。現に私の頭の中には様々な言語や
>発音が古今東西に拘らず記憶されています。

まあ、それは人それぞれ得意不得意がある、ということで受け止めております。
私も人の顔を覚えることは得意ではありませんが、車の特徴やナンバープレートと持ち主を関連付けて覚えることは得意です。
例えば、鈴木さんの車は「土浦5xxさ2440」だとか、佐藤さんの車は白い●テップ●ゴンだとか、そちらのほうから覚えたほうが楽ですね。

>変身願望は、環境差はあるにせよ実は誰にでも生じる可能性はあると
>思います。「自分には特殊な能力がある」って事を信じていることだって、
>ある点では似ているのかも知れません。むしろ、誰しもが実は疑問を
>抱かずにそれを抱えているかもしれません、「個性」とか「自尊心」と
>云う形で。

ま、そういうことかもしれませんね。

私が伝えたかったのは、むしろ自分が現在おかれている状況に嫌気が差しているのが原因、という点で自殺願望と変身願望が共通しているのではないのかな、ということなのでありましたが、こういう解釈も成り立つ、ということを考えると、あながちマイナス要素ばかりでもないようですね。

> 自分も、奇異な目で観られる事が日常的になるにつれ症状が亢進して
>しまった点があるので…。未だ、時々「自分が自分で無くなったら…」
>という妄想にとり憑かれます。

ASのテーマから外れますが:
私が「女の子になりたい」という願望を最も非現実的だと解釈したのはこういうことです。例えば女の子が童話の「シンデレラ」になりたい、という願望を抱いたとしましょう。確かにウェディングドレスをまとうことで外見上はシンデレラになれるけれど、当人はそれだけで身も心もシンデレラになりきることは可能ではないのかな、と思います。
でも男の子が「女の子になりたい」というのはもっとレベルの違う話ではないのかな、という気がします。男の子がスカートをはいて外見上は「女の子」になったとしても、果たして身も心も「女の子」になりきれるのだろうか、という疑問は常にあります。

でもさすがに36年前には、こういった疑問の発生する余地はなかった。

男なら特別な事情がない限り、みんな将来は漁師、という土地柄で、身障のために漁師になれない私は、家族の者ともども疎外感を感じていましたが、女の子だったら身障でもかわいがってもらえたかもしれない、という思いがこの頃からあったのかもしれないです。
戸外で遊ぶことができず、家の中で童話の絵本(やっぱり「シンデレラ」が一番のお気に入りだった)などを読むことが多かった、というのが変身願望を人一倍加速させた、ということでした。

以上。

[#1763] Re:他愛のない話で失礼
 kwai  - 04/11/27(土) 6:11 -

引用なし
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   ▼Chiquititaさん:
 こちらこそ、Chiquititaさん。
乱筆に等しい内容への丁寧なご返答、心より感激致しました。
 誠意あるご返答に感謝し、その意を表するべく敢えてご返答申し上げます。ただ、これ以下の表記は人に因っては嫌悪を感じる方もあるでしょう。語句に敏感である方は、これ以上を読まずにページを移される事をお願いします。

>私が伝えたかったのは、むしろ自分が現在おかれている状況に嫌気が差しているのが原因、という点で自殺願望と変身願望が共通しているのではないのかな、ということなのでありました…

 成程、大変興味深い点にお気付きと感じました。この度敢えて返信申し上げましたのは、この点に対する(私個人の)考察をお伝えしたかった故です。
 確かに、自殺願望と変身願望は根を同じくするやも知れません。そのように云うのは、心理学に“ネクロファイル(ネクロフィル)”と云う学説があります。確か Erich Fromm の説であったように記憶しているのですが…。
 “ネクロファイル(Necrophile)”は、日本では死体性愛と直結した解釈が目立ちますが、本来の意味はそうではありません。Necro…つまり「死」ですが、これは即ち「停止」の状態であり、即ち「不変」引いては「永遠」を意味するイメージであるという説です。
 それは、性的嗜好に即していうならあながち誤りではありません。しかし、元来の意味はより広義で「完全なモノへの欲求・同一化」と云う説です。つまり、過ぎ去った時間は変えようがありません。“不変”が即ち“完全”と考えた場合、人間にとっては“死”がそれであっても過言ではありません。が、しかし単に「過ぎ去った時間」であるならば、「昔は善かった」を仕切りに繰り返す人も同じなのです。つまり“ネクロファイル”は単に「死への傾倒」を指す学説ではありません。

 何故このような前置きをしたかといえば、これは同時に「変身願望」を読み解く鍵としても用いられるためです。例えば、現代日本で云う「コスプレ」は“変身”に違いありません。ならば問題は、“何への変化を求めているのか”が心理学的には重要なのです。
 例えばそれが『警察官』や『看護婦』であった場合、それはその「役割」こそが目的であり、つまりは“一個人”としての「個性」では無い事になります。「完成された役割」との同化が即ち「完成との同一化」であり、そこに快感を得る ─ それが目的と考察できるからです。
 この場合、明らかに「自殺願望」とは結びつきません。死ぬ事が目的では無いからです。敢えて逆を打つなら、屍体性愛だって「自殺願望」ではない … 寧ろ逆なのです。「生あってこそ」の欲求なのです。

 無論、「自殺願望」の根底に“ネクロフィル”がある … やも知れぬ点は考慮すべきかも知れません。しかし、「自殺願望」へ結びつくには  足りない  のです。
 例えば、先に挙げたコスプレになぞらえた例をあげますが、「Gothic Lolita(ゴスロリ)」のファッションは“吸血鬼(undead)”・“魔女”時には“死体”をイメージしているのがあからさまなものすらあります。だからと言って、彼ら(彼女ら)が自殺願望を抱いている訳ではありません(…確かに、時として抱いている者がある事も否定しませんが。しかし、大多数は「楽しんでいる」筈です)。
 いや、つまりそれはネクロファイルが即ち「自殺願望」では無い事の証明であり、「変身願望」と「自殺願望」は直結しないものと考えるためです。

>私が「女の子になりたい」という願望を最も非現実的だと解釈したのはこういうことです。例えば女の子が童話の「シンデレラ」になりたい、という願望を抱いたとしましょう。確かにウェディングドレスをまとうことで外見上はシンデレラになれるけれど、当人はそれだけで身も心もシンデレラになりきることは可能ではないのかな、と思います。
>でも男の子が「女の子になりたい」というのはもっとレベルの違う話ではないのかな、という気がします。…(略)

 前述の点を踏まえた上でお答えすれば、御考察は実に的を得ていると感じます。
 はい、「男の子」がヒーロー戦隊のキャラクターのような「同性の何か」になるのではなく、「女の子」になりたいと考えるのは、お考えの様に次元の違うものでしょう。それは寧ろ、(カフカの『変身』ではありませんが)『違ういきもの』になりたいと云う願望の方にこそ近いと考えます。「現在の自分とは違う、遠いモノ」であり、かつ「人間にもっとも近い」と考えれば、何ら不思議はありません。
 これだけであるなら、性同一障害などとも違う解釈をせねばなりません(無論、性同一障害は現在は検査すれば判る事ですし、一応の市民権もあります。どうあれ、性などと云うものは先天性な要因よりも後天的な部分の方が現実として問題が大きいでしょう)。

 Chiquititaさんのお考えの様に、同性のコスチューム・プレイとはまた別のものと考えるのが正解と思いますが、しかしこれを「自殺願望」と直結するのは誤りです。
 よしんば例え、若しその後のChiquititaさんに自傷行為があったとしても、それこそ現在の環境に「居心地の悪さ」がある点こそが大きな要因です(無いのですよね、^^;)。
 自傷行為に到るには、「居心地の悪さ」や「ネクロファイル」だけではなくもっと別の、「経験(体験)的な要因」が必要なのではないでしょうか。それは、ある点で「マゾヒズム」に近い部分があるので、寧ろ言及はしません。何故なら、日本に限らず、シグムント・フロイトには偏見や誤解が多いと私は思っているので…。

 実際、自傷行為は確かに「自殺」へつながりますが、しかし、その行為は「死」を得るには寧ろ不確実な行為が多い。これは多くの研究者・専門家の指摘する通り、「生」への渇望のシグナルに外なりません。
 逆に私は考えます。「自殺」とは、「死へつながる行為」と「死という結果」ではないかと。
 つまり、行為ののちに「死んだ」のであれば、それは死と言う即物的な事実としては「事故死」と何ら変わりは無いのです。
 されど、人間にとって意味をなす…つまり何らかの“メッセージ”を持つのは「行為」の方であります。それはあくまで、「生き残る人々」へのメッセージに外なりません。されど、自傷行為を行なう人達はそれとは違う点を、意図的にせよ無意識にせよ目しているように感じます。つまり、自傷行為と目されるその多くは、死としては「不確実な方法」を執るケースが実に多い。

 …つまり、「生きる」事へのアプローチ(証明)に外ならない思うのです。それはリストカッターなどは明にも暗にも感じているのではないでしょうか。

>でもさすがに36年前には、こういった疑問の発生する余地はなかった。…(以下略)

 Chiquititaさんがかく自己分析されている事に私もうれしく、寧ろ心強く思います。
 仰せの通り、「変身願望」と「自殺願望」を同列にするのは誤りです。たとえ同梱であったとしても、両者はどう考えてもプロセスが違う…別次元の問題です。
 「死」と云うのは、おそらくは人間に限らず動物(もしかすると植物も)にとって普遍的なモノ(恐怖)であろうと思います。人間ならば誰であれ、「死」について考えない者は居ない。即ち、ともした事で「死」は何らかの感覚を人に呼び起こします。それが如何な概念や欲求と結びつく可能性はあるにせよ、根本的に人間は「生」を望みます。だからこそ人はその狭間で苦痛に陥るのかもしれません。すべては、「死」に裏打ちされた『生』あってのモノです。

 私は、人生とは“「誕生」と「死去」の間の時間でしかない”と考えています。その間に、貴方と意思のやり取りを出来た事にたいへんうれしく思います。

 以上で失礼致します。長文に渡り、ご迷惑をおかけ致しました点ご容赦ください。

[#1765] Re:他愛のない話で失礼
 Chiquitita メールホームページ  - 04/11/27(土) 9:36 -

引用なし
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   ありがとうございます(^^)

▼kwaiさん:
>確かに、自殺願望と変身願望は根を同じくするやも知れません。そのように云うのは、心理学に“ネクロファイル(ネクロフィル)”と云う学説があります。確か Erich Fromm の説であったように記憶しているのですが…。
>(中略)
>例えば、現代日本で云う「コスプレ」は“変身”に違いありません。ならば問題は、“何への変化を求めているのか”が心理学的には重要なのです。
> 例えばそれが『警察官』や『看護婦』であった場合、それはその「役割」こそが目的であり、つまりは“一個人”としての「個性」では無い事になります。「完成された役割」との同化が即ち「完成との同一化」であり、そこに快感を得る ─ それが目的と考察できるからです。
> この場合、明らかに「自殺願望」とは結びつきません。死ぬ事が目的では無いからです。敢えて逆を打つなら、屍体性愛だって「自殺願望」ではない … 寧ろ逆なのです。「生あってこそ」の欲求なのです。

なるほど。確かに、男の子にとっては「女の子になりたい」よりも「《太陽にほえろ!》のマカロニ刑事になりたい」のほうが現実的ですからね。(私は小学生のとき、クラスメートがヒーロー特撮ドラマに夢中になっているさなか、「太陽にほえろ!」に入れ込んでいた。ちなみに「マカロニ刑事」の役は萩原健一)

> 例えば、先に挙げたコスプレになぞらえた例をあげますが、「Gothic Lolita(ゴスロリ)」のファッションは“吸血鬼(undead)”・“魔女”時には“死体”をイメージしているのがあからさまなものすらあります。だからと言って、彼ら(彼女ら)が自殺願望を抱いている訳ではありません(…確かに、時として抱いている者がある事も否定しませんが。しかし、大多数は「楽しんでいる」筈です)。

私も、ゴスロリをマイナスイメージで捉えるのは妥当ではないと考えています。実際、最近のアニメでも、ファッションは確かにゴスロリ風でも性格は底抜けに明るい、というキャラクターデザインは多いですね。

>いや、つまりそれはネクロファイルが即ち「自殺願望」では無い事の証明であり、「変身願望」と「自殺願望」は直結しないものと考えるためです。
>(中略)
> 前述の点を踏まえた上でお答えすれば、御考察は実に的を得ていると感じます。
> はい、「男の子」がヒーロー戦隊のキャラクターのような「同性の何か」になるのではなく、「女の子」になりたいと考えるのは、お考えの様に次元の違うものでしょう。それは寧ろ、(カフカの『変身』ではありませんが)『違ういきもの』になりたいと云う願望の方にこそ近いと考えます。「現在の自分とは違う、遠いモノ」であり、かつ「人間にもっとも近い」と考えれば、何ら不思議はありません。
> これだけであるなら、性同一障害などとも違う解釈をせねばなりません(無論、性同一障害は現在は検査すれば判る事ですし、一応の市民権もあります。どうあれ、性などと云うものは先天性な要因よりも後天的な部分の方が現実として問題が大きいでしょう)。

むしろ、私が見たところでは「男性→女性」という願望を抱いている人よりも、「女性→男性」という願望を抱いている人のほうが多いようですね。それは現在まで(現在でも時と場合により)女性のほうが男性より社会的な地位が低いものとみなされていた、ということが根底にあるかもしれません。逆に男性が仕事上で理不尽な扱いを受けるにいたったとき、今までは女性のほうがハードルが低かった、というのもあります。
女性が男性に比べて社会的地位が低かったことによる理不尽な扱い、というのは今なお解消せず、現在もなおセクハラによる人権侵害が後を絶たないことは誠に遺憾であると思います。
「オカマコンテスト」ですら、人によってはセクハラの一種と解釈する人がいてもおかしくないような気がします。

> Chiquititaさんのお考えの様に、同性のコスチューム・プレイとはまた別のものと考えるのが正解と思いますが、しかしこれを「自殺願望」と直結するのは誤りです。

もちろんそうでしょう。(^^;)共通点は「現在の姿に嫌気が差している」ということだけで十分すぎるかもしれない…
明らかに私の「女の子になりたい」は「生」を望んでいるのであって、「死」はまったく望んでいませんからね…

> よしんば例え、若しその後のChiquititaさんに自傷行為があったとしても、それこそ現在の環境に「居心地の悪さ」がある点こそが大きな要因です(無いのですよね、^^;)。

ちなみに、自傷行為はありません。

> 自傷行為に到るには、「居心地の悪さ」や「ネクロファイル」だけではなくもっと別の、「経験(体験)的な要因」が必要なのではないでしょうか。それは、ある点で「マゾヒズム」に近い部分があるので、寧ろ言及はしません。何故なら、日本に限らず、シグムント・フロイトには偏見や誤解が多いと私は思っているので…。
> 実際、自傷行為は確かに「自殺」へつながりますが、しかし、その行為は「死」を得るには寧ろ不確実な行為が多い。これは多くの研究者・専門家の指摘する通り、「生」への渇望のシグナルに外なりません。

実際、幼児虐待の被害者が、現況を外部に伝えるために生命に危険の及ばない程度の自傷行為で「駄目押し」をする、ことは多いです。でも中には(おそらく人間の食物でないものをふだんから食事として与えられたケースなのでしょうが)自分の体の一部を食べようとしたケースもあり、看過できません。

> Chiquititaさんがかく自己分析されている事に私もうれしく、寧ろ心強く思います。
> 仰せの通り、「変身願望」と「自殺願望」を同列にするのは誤りです。たとえ同梱であったとしても、両者はどう考えてもプロセスが違う…別次元の問題です。
> 「死」と云うのは、おそらくは人間に限らず動物(もしかすると植物も)にとって普遍的なモノ(恐怖)であろうと思います。人間ならば誰であれ、「死」について考えない者は居ない。即ち、ともした事で「死」は何らかの感覚を人に呼び起こします。それが如何な概念や欲求と結びつく可能性はあるにせよ、根本的に人間は「生」を望みます。だからこそ人はその狭間で苦痛に陥るのかもしれません。すべては、「死」に裏打ちされた『生』あってのモノです。
>
> 私は、人生とは“「誕生」と「死去」の間の時間でしかない”と考えています。その間に、貴方と意思のやり取りを出来た事にたいへんうれしく思います。

改めまして、貴重なご意見ありがとうございました。
他愛のない話になるはずが、結構重いテーマになってしまいました(^^;)が、共通点はあるにせよ、自殺願望と変身願望を同じレベルで考えることの誤りを指摘していただけて嬉しく存じます。

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