|
豆さん、お返事ありがとうございます。
タイトルのつけかたが悪かったのですが、広義の意味で話ししたかったのではなく、Aさんの言動が「自分視点」なのかどうか知りたかったんです。
なので、豆さんのコメントを読んで、「自分視点」の可能性もあるんだなあ、ということがわかり参考になりました。
>正直言うと自信はありません。いつもひょっとして間違っているかもしれないといった不安とともに判断しています。相手の寛大なるお心で許容されているのか、それとも、怒らせていて知らない場所でむかつかれているのか、判断できません。
この辺は多かれ少なかれ、定型者でもあることだと思います。
逆に、定型者であっても「私はいつも正しい」という態度は傲慢だと思います。
豆さんはちゃんと工夫されてると思います。
それが一番大事なのではないでしょうか?
ただ、自分がやってほしいこと=相手のやってほしいこと、ではないんですよね。
自分が行動を起こす前に、それが相手のやってほしいことか、確認しておけるといいと思います。
私の場合、確認できない場合は、行動を起こさないので、気の利かない人・消極的でやる気のない人と思われてるかもしれません。
先日、私は親戚に子ども服のお古を譲ったのですが、相手の人がお古を譲っても大丈夫かリサーチした上で、「もう必要ないのでもらってもらえると嬉しいんだけど、いらないものがあったら捨ててね」と言って渡しました。
「また持っていってもいい?」と聞いたら、「お願いします」という答えが返ってきました。
>変に相手に触れないようにするようになりました。
相手の人が望んでるかどうかわからないときは、そのほうがかえっていいのではないでしょうか?
押し付けがましくない人の好意は、むしろ私はありがたく受け取るほうなのですが、私の知人でやりすぎてしまって周囲の顰蹙を買ってしまった人もいました。
やってもらって文句を言ってる人たちの態度のほうに私は疑問を感じたのですが、何もしなくても「気が利かない」と言われかねないし、なかなか難しいですよね。
|
|