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レスありがとうございます。
▼kwaiさん:
> けれども、幾つか他人には解らないであろう「欠陥」は認識しております。
>例えば、人の顔を覚えられません。─ 名前ならば百でも千でも覚えられる
>のに、それが「顔」に直結するのは精々数十人に過ぎないのです。…それも、
>「表情」となるとからきし駄目です。少し笑っただけで、トレンディドラマの
>俳優さえ名前が一致しません。無論、それも程度の差なのですけれど…。
> “程度の差”と云うのは、逆に「文字」の様な記号であれば幾らでも
>判別できるのです。記憶できるのです。現に私の頭の中には様々な言語や
>発音が古今東西に拘らず記憶されています。
まあ、それは人それぞれ得意不得意がある、ということで受け止めております。
私も人の顔を覚えることは得意ではありませんが、車の特徴やナンバープレートと持ち主を関連付けて覚えることは得意です。
例えば、鈴木さんの車は「土浦5xxさ2440」だとか、佐藤さんの車は白い●テップ●ゴンだとか、そちらのほうから覚えたほうが楽ですね。
>変身願望は、環境差はあるにせよ実は誰にでも生じる可能性はあると
>思います。「自分には特殊な能力がある」って事を信じていることだって、
>ある点では似ているのかも知れません。むしろ、誰しもが実は疑問を
>抱かずにそれを抱えているかもしれません、「個性」とか「自尊心」と
>云う形で。
ま、そういうことかもしれませんね。
私が伝えたかったのは、むしろ自分が現在おかれている状況に嫌気が差しているのが原因、という点で自殺願望と変身願望が共通しているのではないのかな、ということなのでありましたが、こういう解釈も成り立つ、ということを考えると、あながちマイナス要素ばかりでもないようですね。
> 自分も、奇異な目で観られる事が日常的になるにつれ症状が亢進して
>しまった点があるので…。未だ、時々「自分が自分で無くなったら…」
>という妄想にとり憑かれます。
ASのテーマから外れますが:
私が「女の子になりたい」という願望を最も非現実的だと解釈したのはこういうことです。例えば女の子が童話の「シンデレラ」になりたい、という願望を抱いたとしましょう。確かにウェディングドレスをまとうことで外見上はシンデレラになれるけれど、当人はそれだけで身も心もシンデレラになりきることは可能ではないのかな、と思います。
でも男の子が「女の子になりたい」というのはもっとレベルの違う話ではないのかな、という気がします。男の子がスカートをはいて外見上は「女の子」になったとしても、果たして身も心も「女の子」になりきれるのだろうか、という疑問は常にあります。
でもさすがに36年前には、こういった疑問の発生する余地はなかった。
男なら特別な事情がない限り、みんな将来は漁師、という土地柄で、身障のために漁師になれない私は、家族の者ともども疎外感を感じていましたが、女の子だったら身障でもかわいがってもらえたかもしれない、という思いがこの頃からあったのかもしれないです。
戸外で遊ぶことができず、家の中で童話の絵本(やっぱり「シンデレラ」が一番のお気に入りだった)などを読むことが多かった、というのが変身願望を人一倍加速させた、ということでした。
以上。
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