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▼たもっちさん:
初めまして。こんばんは。
> 私の場合は、恋愛経験はあるものの、相手女性からの付き合いのアプローチをされた経験は何度も有ります。しかし、そのようなチャンスを潰し続けてきました。
> 事実、東京在住で知り合った女性とは、恋愛から最終的に結婚を最終目的とした付き合いをしようとアプローチはしたものの、自分自身の人の目を見る無さ、長年に渡る自分自身のいじめや母や姉からの過干渉や叱責から来るトラウマ、私の従兄弟が周囲での離婚多発、姉の離婚直後に父が亡くなった時に姉から「あんた、一人で暮らしまっし。母親から離れる事が、あんたのためや。私は甥と二人だけで暮らすから。」と言われ、その姉の言動に対して私が「病弱で老いた母親をたった一人きりにし、姉のみで子育てを行ってしまえば親子相互間に悪影響を与えてしまうのは目に見えているのに、どうするんだ!」と諌めたのに母はそれを全く支持せず、私だけ一方的に責任を転嫁された事から来るストレス、女性付合い経験が無いが故に衝動的な相互間の感情、女性運が恵まれていない所に「ようやく良い女性と巡り会えた!」との過剰な甘えと安堵感、自分自身の障害のカムアウトの方法の知識や対策の欠如等が原因で、お互いに最悪の結末となってしまいました。
色々なことが立て続けに起こり
たもっちさん自身、困惑されたことでしょうね。
発達障害であるなしにかかわらず、
離婚や、親しい人を亡くした時は、みな困惑しています。
故に、思ってもいないことを口走ってしまう人も多く、
不必要にお互いを罵りあうこともあります。
何故なら、みな少なからずショックを受け、
ただただ、困惑しているからです。
日常に戻ってみると「そんな事を言ったかな?」
ということも、往々にしてあります。
言われた側にしてみれば、
忘れられないほどショックな一言でも
言った側からすれば、
すでに忘却の彼方であったということも
珍しくはありません。
一見、理不尽なように思えますが、
自分が傷ついた一言は、
自分が言われて傷ついたことをきっかけに
自分から使わないようにすれば、
自分の中の「使っちゃいけない言葉辞典」の
1頁が増えたという喜びに変わりますね。
相手が発した言葉に惑わされず、
事態に困惑する者同士としてお互いを認識してみると、
喧嘩したり罵りあった相手さえ、
かけがえのない仲間であったことに気づきます。
言葉はただの道具です。
人と関わりあうための、ただのツール、一手段です。
たもっちさん自身はもちろん、
傷つきながら傷つけながらも、ご家族と過ごした時間は、
言葉のひとつやふたつで、
揺るぐものでは決してないと思います。
過去のトラウマや、足元の不安定感、
物事を先の先まで、考え出すと止まらなくなりますが、
100%保障された人生なんて、どこにもありません。
どこにも、ないんです。
だから、みな不安を抱えています。
不安を抱えながら、みな生きています。
何が最悪で、何が最良かは、誰にもわからないし、
それがどういった形をとろうとしているのかも
わかるはずはない、だから不安なんですよね。
ただ、最悪の結末を知っているなら、
もうそれ以上に「最も悪く」はなりようがないと、
少なくとも、次の機会は、
最悪よりちょっと良い「ちょっと悪」いなんだからと、
みな必死で自分を奮いたたせて、
ただひたすらに生きています。
人はみんな、そんな自分自身と常に戦っているんですね。
自分が生み出した不安に
自分の夢がのまれないよう、
自分が生み出した疑問に
自分の足元をすくわれないよう、
闘うべき相手は、常に自分の外ではなく、
自分自身の中にいます。
そんな自分を
めいいっぱい励ましてあげてほしいと思います。
周りの誰もが励ましてくれないのなら、尚のこと、
せめて自分だけは、自分をちゃんと応援してあげてください。
たもっちさんは、色々な出来事の中から
「こうすれば良かった」や「ああすれば良かった」
という素晴らしい発見を
たくさんご自身の中に持っていらっしゃる様子ですね。
その発見こそを、次の一歩にしてくださいね。
「こうすれば良かった」と思うことがあれば、
次こそは「こうしよう」と踏み出すことができますよ。
あせらず、ひとつひとつ、一歩ずつ、自分だけの道を、
歩いていかれることを応援申し上げます。
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