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▼トラネコさん:
はじめまして。こんにちは。
トラネコさんのご意見は、とてもわかりやすく、
貴重なご意見でした。ありがとうございました。
「ASであるかどうか」という問題に論点を絞りすぎることは
確かに危険だと、わたしも思います。
この問題に論点を合わせたいのであれば、
トラネコさんや、他の方もおっしゃるとうり、
本人の自覚は絶対に必要ですし、
専門家の意見や、診断を仰ぐ必要性も感じます。
ただ、スレ主であるやこさんの場合、どういう方法であれ、
今回、お互い「違うこと」を、お互いが認識できました。
お互い「違うこと」に気がつけたら、
お互いどう違うのか「学ぶこと」ができる。
「学ぶこと」ができたら、対応の仕方は自ずと見えてくる。
学んだ対応の仕方を頼りに、
お互いひとつひとつ「実践すること」を経験として、
積み重ねていくしかありません。
全てはここから。人生は、長い長い道のりです。
お互い、おじいちゃんおばあちゃんになった時、
2人で、笑いあうことが、やこさんの夢なんですよね。
ほとんど人生のゴールに近い目標を、やこさんは持っているんですよ。
れいさんがおっしゃっていたとうり、
「こんなことでくじけてなるものか」という出来事は
それまでにたくさんあるはずです。
ローマは1日にしてならず。
夜が明けたら、出来てた!なんて簡単なものはどこにもありません。
だからこそ、やこさん自身がどうしたいのか、
常に自分自身が、忘れない様にして下さいね。
男脳と女脳、AS脳と定型発達脳、それぞれの両者間には、確かに、
情報処理の仕方や、物事・事柄の組み立て方に大きな違いがありますね。
その中でも、気づきやすい人、気づきにくい人、頭の回転が速い人、
行動を起こすのが早い人など、色々な特性を持った人がいます。
人は十人十色。でも、人生のプロセスは、みんな同じ。
「違うこと」「学ぶこと」「実践すること」
1つ1つをこなしていくしかありません。
AS当事者の場合ですと、予測できないことや、変化に対して
大きな苦痛を感じやすい方も多いようです。
その苦痛は、定型にははかり知れない苦痛でしょう。
苦痛が大きすぎて、本人が「違うこと」「学ぶこと」「実践すること」に極端な恐れを抱いてしまったら、お互い、それまでです。
ですから、本人が、生活上で困っていることや苦痛を
特に感じていないようでしたら、
周りが感情的になったり、急に予定を変えたりすることで、
本人に大きな苦痛を与えるのは、
どちら側のメリットにもなりませんね。
ASであるなし、老若男女、国や文化を超えて、
人間は、自分自身のことを、自分が一番知りません。
自分が何を学ばなければいけないのか、
気づいていないことに、気がついていない。
そして、それに気づいたとしても、
自分が今まで正しいと信じ込んできたやり方を
現実問題、中々変えられない。
全ては、対 相手との問題ではなく、
対 自分自身の問題であるように思います。
自分自身の人生を生きるということは、
そんな自分自身と戦い続けるということではないでしょうか。
そんな自分自身に悪戦苦闘しながら、
たくさんの「やり方」「考え方」「休み方」を
自分で、1つずつ1つずつ、獲得していけばいいと思います。
1つ獲得すれば、自分の人生が、1つ豊かになります。
なるべくなら、豊かな人生を歩みたいものですね。
誰でもない自分自身の幸せのために。
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