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▼ウォルフルさん:
コメントありがとうございます。(^o^)/
>世間体ばかり気にして世間体という秩序の中にそっくりと自分の考えや自分の存在までをも擬似させ隠して仕舞う日本人って、これと良く似ているんですよね。
だから、親父は終生「障害=恥」だという考えに縛られていたのでしょう。
母方の親類の多くは、祖父母(もちろん母方)も含めて障害を恥だと感じていませんでしたし、従姉の娘がカナーの当事者(IQ=22の診断が出ている)でも親戚中で気に掛けていました。それでも、私の身障&発達障害について、オフクロに「自業自得」という心ない台詞を平気で浴びせる人もいて、オフクロはそれを40年以上もトラウマに感じています。
>日本は明治期には西洋文化の姿を真似てそっくりと乗り換えて仕舞いましたし、経済成長の著しい発達と遂げたかつての日本の姿は、御存知の通り、他国から学び、それを真似るという姿勢に貫かれた処にあったのです。もし日本人が主体的に物事を判断して、自分達はオリジナルな存在なんだ、という志向性を持っていたなら、きっと今の日本はなかったんだと思います。僕はまさにこういった日本人の性質を、「世間体という感覚を持って自分自身を環境の姿に似せて仕舞う日本人」の気質にも発見します。
確かに、日本人の適応能力は時に驚嘆に値します。しかも、欧米のコピーで終わらないところがすごいです。太平洋戦争で原爆を落とされ、一敗地にまみれても、20年後には「エコノミックアニマル」と恐れられる程ですからね。
日本人が流行に敏感であることも上記のご指摘と関連があるでしょう。
例えば、今はミニスカートが流行しているので、ロングスカートをはいていると白眼視されるくらいに感じるかも知れない。(私は♂なので、あくまでも勝手な憶測です)
逆に10年くらい前はロングスカートが流行っていましたが、とりわけ流行に敏感と言われている札幌では、裾を引きずる程長いスカートをはいていた女の子もいました。
>確かに前のスレで僕が示した様に、世間体世間体と云ってちっとも融通の利かない日本人ではあっても、物事には常に表裏一体がある様に、いい側面と悪い側面が分ち難く結びあってこそ、人間なんだなぁと思うのです。
そうですね。
無理遣り型に押し込めようとするから、発達障害を「障害」という観点で捉えてしまうのでしょう。F−1のレーシングカーが一般道路を走ることはできません。
>日本人はもともと適応力が高い民族なのだから、それを知って静かに見守る用意がこちらにありさえすれば勇気が沸き、絶望して難儀に思う事もないと思います。もしかするとある日突然アスペが生き易い日が日本全土にも来るかもしれませんよ。
あまり悲観することもないでしょうね。
極端に価値観の掛け離れた人同士が向き合うことは難しいけれど、不可能ではありません。
同じ宗教を信じているはずなのに、テロリズムを起こしてまで他の宗派を攻撃する人達のほうが、よほど理解に苦しみます。
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