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はじめまして!
一応、定型発達の域にいると自分では思っているのですが、最近友人に「私ってADHDかもしれない」と相談されて、聞いてみるとどうやら「片づけができない」ということらしく・・・・「私も同じだわ」と感じてみたり、でも私の場合はただ自分を甘やかしているだけと自分につっこんでみたりしている47才のおばさんです。どうぞよろしくお願いします。
>(1).あなたが学校で、学んだり・体験したことで、今の生活に対して『プラスになっている・勇気づけられています(^_〜)』ということは、どんなことでしょうか?
そうですね、中学時代自分の全てを注ぐくらい夢中になれた部活動(ブラスバンド)があったことです。いろんな楽器の音が重なりあって、一つの音楽が作られていく作業が大好きでした。
>(2).(1)とは反対に、今の生活に対して『マイナスになっています・足を引っ張られています(T_T)』ということは、どんなことでしょうか?
信頼できる先生に出会えなかったこと。自分の都合を優先し生徒に無関心な先生、子どもを叱りとばす先生や、感情的になって怒り出す先生、お酒くさい先生・・・・。でも、大学では人間的に尊敬できる先輩との出会いがありました。>
>(3).(1)(2)を踏まえたうえで、もしも、あなたが学校で30人の子供達の学級の担任(うち3名は発達障害児としましょう)になるとしたら、どんなクラスを作っていきたいですか?
うーん、3人の発達障碍のお子さんがいたら、一人で学級経営は難しいでしょうね。
娘や息子の学校生活をみていて気がついたことがあります。「いじめ」という言葉の定義が人によって違うということです。
知らない人が初めてであった時、その人がどんな人かわからなくて不安になることがあります。そんな時、私たち大人でもなるべく視線をあわせないようにしてそれとはなく観察したりします。そのうち、だんだんなんとなく自分と波長が合う人同士で少しずつ仲良くなっていくのではないでしょうか?
問題はそこからです。なかよしだと思っていた友だちとの意見の食い違い(対立)が起きるのです。つまり「けんか」です。ところが学校というところはこの「けんか」を禁止するんですね。あるいは「自分たちのことは自分たちで解決しろー」と完全に放置する先生がほとんどです。その結果、強い言葉を言う子や暴力で自分を通す子の意見が押し通っていくんですよね。「けんかはわがままで悪いこと」とけんかそのものを封じ込めてしまう結果、子どもは先生(大人)の前では仲良しのふりをして、けんかそのものが先生の目の届かないところに隠れてしまうのです。
けんかの結果おきることとして
避ける、無視する、仲間はずれにする
という行為があります。そう、「いじめ」の発芽ですが、これはいじめではないと私は感じています。はじまりはなかよしだったのですから・・・・
しっかりけんかして、自分の思いをそこで表出することを大事にしてあげると、子どもたちは自分の思いを受け止めてもらえたことに安心して、相手の子どもの思いを理解しようという気持ちになっていくようです。相手をわかりたい、自分をわかって欲しいと思うから衝突するわけですから、自分の気持ちを上手に言い表せない子のそばで「『わたしはこんなことを考えているんだ!』と自分の思っていることを言葉にしても大丈夫だよ!」と声をかける存在でいたいなぁ〜。そんな先生になりたいと思います。
実は長女の先生がそんな先生だったのです。大学生の彼女は今、教育学部で学んでいます。ごめんなさい。長い文章になってしまいました。
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