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▼Y/Oさん:
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>何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。
>親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
去年の秋、とある発達障害関連の勉強会に参加したときのこと、一人の講師の方の意見に『なるほど…』と思わされました。
#学校などでは、障がい児がいると、とかく『障がい+その子』という見方を
#して、『大変だ!(@_@)』と思うあまり、どうしてもマニュアルどおりの
#杓子定規な対応をしてしまいがちで、そのことがかえって適切な環境適応への妨げ
#となりがちです。
#むしろ『障がい=その子の特性の一つ』というふうにみた方が、ちょうど良い感#じの環境への適応力が養えるのではないでしょうか…
という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。
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