アスペルガーの館の掲示板

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[#17930] 普通に扱って欲しい Y/O 07/2/22(木) 15:26 [未読]

[#18030] 『障がい=その人の特性の一つ』 Cyperus 07/3/1(木) 13:35 [未読]
[#18032] Re:『障がい=その人の特性の一つ』 ぶじこれきにん 07/3/1(木) 15:00 [未読]
[#18044] シミのあるミカンをどうする? Cyperus 07/3/2(金) 16:41 [未読]

[#18030] 『障がい=その人の特性の一つ』
 Cyperus  - 07/3/1(木) 13:35 -

引用なし
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   ▼Y/Oさん:

>何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。
>親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
去年の秋、とある発達障害関連の勉強会に参加したときのこと、一人の講師の方の意見に『なるほど…』と思わされました。

#学校などでは、障がい児がいると、とかく『障がい+その子』という見方を
#して、『大変だ!(@_@)』と思うあまり、どうしてもマニュアルどおりの
#杓子定規な対応をしてしまいがちで、そのことがかえって適切な環境適応への妨げ
#となりがちです。
#むしろ『障がい=その子の特性の一つ』というふうにみた方が、ちょうど良い感#じの環境への適応力が養えるのではないでしょうか…

という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。

[#18032] Re:『障がい=その人の特性の一つ』
 ぶじこれきにん  - 07/3/1(木) 15:00 -

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   ▼Cyperusさん:
>▼Y/Oさん:
>。
>>何度か福祉ネットワークなどを拝見していると、「同情や哀れみはある意味差別と受け取れる」とか、「自分から助けを求めていないのに親切の押し付けが嫌」といっていました。生まれながらの個性であり自分とって普通であり、健常者が見ると大変と感じてもやれることは自分でしたいという意識がある。健常者は悪気があって助ける行為をしているのですが、本当は助けが必要な障害物を取り除いて欲しいのです。
>>親や家族としては健常者の環境では苦労するから子供側をなんとか合わせようとしていると掲示板を見ていると感じる。でも問題の本質は見えない壁を放置して無理に壁を子供に越えさせようという親のエゴが含まれているのではないでしょうか。
>去年の秋、とある発達障害関連の勉強会に参加したときのこと、一人の講師の方の意見に『なるほど…』と思わされました。
>
>#学校などでは、障がい児がいると、とかく『障がい+その子』という見方を
>#して、『大変だ!(@_@)』と思うあまり、どうしてもマニュアルどおりの
>#杓子定規な対応をしてしまいがちで、そのことがかえって適切な環境適応への妨げ
>#となりがちです。
>#むしろ『障がい=その子の特性の一つ』というふうにみた方が、ちょうど良い感#じの環境への適応力が養えるのではないでしょうか…
>
>という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。


確かにこの意見に同感。見守るところは見守り、手助けするところは手助けするほうが、われわれも生きやすい。そして障がいはひとつの個性と捉えたほうが、がんばリズムの束縛から解放されて、障がい=克服すべきものから解放されて自分らしく生きられて、他を大事にするだろう。

[#18044] シミのあるミカンをどうする?
 Cyperus  - 07/3/2(金) 16:41 -

引用なし
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   ▼ぶじこれきにんさん:
>>
>>という感じです。ありていにいえば、『見守るところは見守り、手助けすべきところは手をさしのべ』ということであろうかと思います。
>確かにこの意見に同感。見守るところは見守り、手助けするところは手助けするほうが、われわれも生きやすい。そして障がいはひとつの個性と捉えたほうが、がんばリズムの束縛から解放されて、障がい=克服すべきものから解放されて自分らしく生きられて、他を大事にするだろう。

『子どもというものを、何かにたとえなさい』と聞かれたたら、僕は『皮のある果物…例えばミカンです!』と答えます。

その心はこうです。

ミカンの皮がうわべから見える子どもの特性です。そうして皮の中にあるのが美味しい果肉、すなわちその子の長所というか秘められた才覚です。障がいとか問題行動というのはそうすると、さしずめ皮にできた黒いシミでしょうか…

 ミカンは丁寧に皮をむけば、果肉を美味しく味わうことができます。
シミのあるミカンだって、剥いてみると、果肉は傷んでなく美味しいかったり・半分はダメでも、もう半分は食べられて実に美味だったということもあるでしょう。
 でも、『傷物だ!』といって、トンカチでたたきつぶしたり、ゴミ箱に投げ捨ててしまえば、何も味わえません。

 これと同じことが、子どもが物事を学んでいくうえでも、云えると思います。
障がいや問題行動にとらわれて、それをただそうとすると、かえって事態の悪化を招くと云うことがかなり多いのではなかろうかと思います。
 むしろ、『必ずこの子は良い面を持っている』と信じて、冷静になって話を聞いて信頼関係を築く・叱るよりも諭す・良い面があったら褒めてきちんと伝えるというふうに、丁寧に一つ一つの外面と向き合っていけば、その子は自信を持ってきっと良い方向進んだという、美味しさを味あわせてくれると思います。

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