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▼徒花さん:
これは、私の場合のお話しです。
私は元来、勝ちたいこだわりで、どうも「負けるもんか!」って気持ちの方が大きかったので、出来たことなのかもしれないけれど、
私の通ってた高校は、市内でも有名な不良の集まる学校でした。
当時は、短ラン、ボンタン、長いスカート、そんなオーソドックスなビーバップな世界が通常に見られた、そんな学校でした。
別に不良じゃなくても、真面目な生徒でも、スカートを少し長めにしたり、ウェストの幅を広くしたり、
くせ毛と偽って、パーマをかけたり。
でも、私はそんな事は全くしない、ドマジメに規定通りのカッコしてましたので、やはり周囲から浮きまくり(^_^;)
使い走りもやらされたし、休み時間はひとりっきりですごしたし、下級生からもバカにされたし。
それでも「学校を休みたい」とか「学校をやめたい」とかはしなかった。
ここで私が学校を休んだり、やめたりしたら、
『あの子、イジメられてやめた(休んだ)のよ』
自分のいないとこで、そんな風に言われるのは、イヤだった。
自分がいる前なら、言い返してやる。でもいないとこで言われるのは言い返すことも出来やしないじゃない?
みんな聞こえないように、こちらを見ながらコソコソ話し。私の名前が出ている。
でも、「なあに?」と聞けば、「なんも?」「別に呼んでないよ」「あんたには関係ないよ」と言われるから、それも言い返すことなんて出来ないじゃない?
自分がいなかったら、もっともっと言い返せないじゃない?
もし自殺でもしたとして、そのあとから「あの子イジメられたから死んだのよ」なんて言われようものなら、
私は、草葉の陰で、もっともっと悔しい思いするかもしれない。
でも、死んでからは、もっともっともっと言い返せないじゃない?
だから、これだけは絶対しない!と思った。
くやしかったし、つらかったけど、いないところで言い返せないのももっと悔しいと思ったから。
だから、3年間休まず高校通ったよ。
そのうち、
「私は、自分を『悲劇のヒロイン』にしてない?
つらい、つらいと、自分で自分を哀しくさせてない?」
と、思った。
「人生はゲームだ。
人生は山あり、谷ありで当然で、山も谷も無いゲームなんて、楽しくない。
人が生まれ変わるのは、きっとそんな人生でも『楽しかった』って思えるから、何度も人間に生まれ変わるんだ。
だから、この状況を楽しもう。
自分が『イジメられてつらい』んじゃなく、これも人生ゲームのポイントのひとつと思って楽しもう。」
そう思って、3年間乗り切ったわ。
「人生はゲーム。逆境もまた楽しからずや」
これが、当時の私の、座右の銘ね。(^_^;)
卒業アルバムにもしっかりこの言葉を書いたぐらいよ。
あとね。
私、将来夢がたくさんあったの。
漫画家になりたい、
小説家になりたい、
女優になりたい、
有名になって見返してやりたい。
そんな、「夢」を持つことも、のりきるコツだったかもしれない。
で、長い人生で、高校時代の3年間なんて、短いものだったと大人になってから振り返るの。
就職して、20歳すぎたぐらいから、仕事も出来るようになったら自信もついて、
大人になったら、誰も「イジメ」なんてしなくなった。
演劇の趣味から、アマチュア劇団入って、
友達もいっぱい出来て、
そうなったら、そんなつらかった高校生活なんて、すっかり忘れてしまった。
今じゃ、「そんなこともあったけ」とぐらいになった。
私は、いつまでも昔の「イジメられた」をくよくよ思い出して悩んだり、愚痴ったりするのは基本的に嫌いなの。
そんなの自分が楽しくないから。
そんなことも、今、自分をつくる基盤となってるから、みんないい思い出よ。
「夢」を持とう。
つらい事をはねかえせるから。
それは自分の力となるよ。
つらいと思う今は、将来、素晴らしい君をつくる礎になるから。
「夢」を持とう。
私はそうしてきたなあ…。(^o^)
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