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先日コーチング関係の人を対象に交流分析のセミナーを行ったのですが、この時に「あ、そうか!」と何人かに納得してもらった考え方を紹介します。
・怒りや罪悪感という感情はあくまでも相手との関係の中で生じたものであり、感じた人の頭の中で起きている出来事。
・だからある意味脳内世界で起きている想像の世界である。しかし人間はそれを唯一絶対のものだと思い込む。そのためにその思いに苦しんでしまう。
・でも「ああ、こういう気持ちは自分の脳内だけのことなんだ」と思って外から見ると自分の中に余裕ができて主体的な気持ちになれる。自分の中で気持ちを選択している、という状況を意識することで人間はより自由になれる。
交流分析の話をベースに最近言われている脳科学の話も交えてその時は説明したのですが、何人かの参加者からは「これ、いいですね!」と言われました。
こういうことって実は仏教的な思想にもつながっているそうですね。以前エッセイにも書いた生命科学者の柳澤桂子さんもテレビで仏教的な考え方を肌で感じた出来事について語っていたのですが、
電動車いすで散歩していたらある人に「まあ、可哀そうに(もしくはお気の毒に)」といったことを言われたそうです。以前なら反発心を感じたんだけど、その時は「ああ、私がいなかったらこの気持ちは存在しないはず」と思ったらすごく楽になれた、といったことを話していました。
柳澤さんは「宗教は科学で説明できる。それができないのは今の科学が未熟だから」という考え方で、仏教に対しても科学的な説明をされています。
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