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通りすがりのものですけど、はじめまして。
僕も人生に意義はあるのだろうかと考えている大学生のものです。
僕が思うには「生きる」という世間一般の価値だけがすべてだと
は思いません。僕が言うことは特殊だとは思いますが、「生きる」
ということは生きているだけで十分であって、「人並みでなけれ
ばならない」とか「人に迷惑をかけてはならない」とか「親不孝
であってはならない」、「幸福でなければならない」といった
ことに限ったことが生きることすべてではないと思います。
(これらの限定は実はアダルト・チルドレンの条件付愛情と
言われるものの概念に通じてきます。)
つまり、「人並みにもなれず」、「他人に迷惑をかけて」、
「親不孝で」、「幸福ではない」生き方だっと十分にありうる
ということを言いたいです。
これはマイノリティーかもしれませんが、実際にそういった
生き方をしている人は確実に存在します。
ちなみに僕自身は勉強がよくできるけれども、不器用で、運動神経
が悪く、要領が悪く、計画だてて行動するのがひどく苦手で、
現実の空間の把握、人への共感が苦手な人間です。
アスペルガー症候群かどうかはわかりません。
健常とアスペルガーの間なのではないかとは自分では思ってます。
その頭(認識)と体(行動)のアンバランスさに生きづらさを感じ、
中学生のころから悩みだし、世界と自分のつながり、人生の意味
のようなものをずっと考えるようになりました。
中学高校生のころはかろうじて学校に通ってはいたけれども、
ほとんどひきこもりの状態でした。
勉強もせず、遊びもせず、仕事もせず、家の手伝いもせず、
親の期待、人の期待を背き続けて、自分は無価値どころか、
有害な人間だ、この世に存在しない方がいいと自分を責め
続けていました。
生きているのは「死ぬのが恐いから」という理由でした。
そんな絶望を続け、考え続けた結論がなんであろうと
「生きていていい」という結論です。
もちろん、ここに至るまでの過程は段階がいろいろとありますけど。
結論から言うと「生きていていい」ということです。
もし、前向きな言葉、一般的なやさしさを持った言葉に
励まされ、信じて生きていけるならそうしてください。
もし、そういった前向きな言葉が信じられずに、
人生に意義があるのかと考えてみたいのであれば、
哲学者の中島義道の本を読んでみると参考になるかもしれません。
ちなみに、中島義道はネットの書き込みで
「この人はアスペルガー症候群だ。」
という書き込みを見たことあります。
実際そうであるかはわかりませんが、運動がひどく苦手だということ、、
騒音に対しての過敏さ、食べ物をはじめとする好き嫌いの激しさ、
独自の論理だった思考を考えるとそうであるかもしれません。
長々とすみません。
では。
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