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▼明子さん:
コメントありがとうございます。
>アピールは、恋愛のときに必ずしも必要ではない気がしますし、アピールされたからといって、その人に恋愛感情を持てるかというと、そうとは限らないと思います。
やはり相手の価値観次第なのでしょうね。
でも、クラスメートの女子全員に「Chiquititaの存在がキモイ」といわれたことがフラッシュバックを繰り返す現状を鑑みると、受け入れられるかどうか否かに関わらず、どうやって世の中の女性たちの価値観にアピールするべきか、ますます解りません。
まるでフォーカスがずれたレントゲン写真のように、笑顔の裏に本来見えてはいけない刃が見えてしまうので、私自身も困惑しています。
しかし、何れにしても、フォーカスのずれた状態でも笑顔の裏側に何も見えない女性を求めるより、自分自身のフォーカスのずれを直したほうがはるかに簡単な作業でしょう。
今は自力では困難だと感じていますが、そのための努力は惜しみません。
>私は身体障害がないので、その苦痛は想像するしかないのですが…。
>ただ、言われたときに苦痛を感じるのは誰しも同じなのかもしれませんが、それをいつまでも引きずってしまっているのは、自分自身ではないでしょうか?
確かにそのとおりかもしれません。
実際にいじめの現場で身体障害を攻撃した人が多数派だという事実があることや、親父や弟にまで身体障害を攻撃されたことがあるので、なおのこと苦痛から逃れられないでいるのだと感じています。
>私の感覚だと、「身体障害があるからと攻撃するほうがおかしいんだ、そんなおかしな考え方しかできない人の言葉に、いつまでもこだわって、気にしてるのはかえって損だ」と考えます。
>私の考えが正しいとは思いませんが、こういう考え方をすることによって、嫌な思いをしても囚われすぎてしまうことはあまりありません。
>
>じゅんこさんが紹介されてる認知療法は自分の思考回路を見つめて修正して行こうという考え方です。
>私もお勧めです!
次回の心療内科のカウンセリング(さいたまに来てから2回目)で提案してもらえるかもしれませんが、次回は無理でも近々受けられるように掛け合ってみますし、書籍やWebの文献でも可能であるなら、今すぐでも実践したいです。
何れにしましても、学校の体育の授業で身体障害をさらし者にしたクラスメートが圧倒的多数だっただけでなく、体育の授業を見学したことを「仮病」呼ばわりまでした人も多数派だったことが、トラウマの払拭を困難にしていると感じているので、私は失職を機に親元に帰ると、今まで積み上げてきたものが灰燼に帰してしまうように感じてなりません。
実際には、親元でも身体障害や発達障害に対する偏見はそれほどひどくないかもしれません。しかし今はそれを実感できそうにないので、御提案の認知療法は早急に実践されるべきだと私も感じています。
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