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▼クロムさん:
>こんにちは。
こんばんは。
クロムさんのご質問のお返事、というより、私の掲示板における感じ方をお話ししたいと思います。
ごめんなさいね。
>感情で、「それは大変でしょうね」「お辛いでしょう」「良かったですね」とか、
>気持ちに寄り添うような?コメントをしないことに気づきました。
私は、最初、このレス派でした。
私自身、言葉が痛かったので、相手も痛い言葉はいやだろう。それが「優しさ」というものだと思いました。
どんな立場の方でも、まず共感してあげること。
そうすると、相手は癒される。
そうすると、たいていは「優しい言葉をかけられた」ということで、私に感謝します。
それが嬉しくて、共感レスを主にしていました。
でも、やがて私自身、いやになってきました。
私も、自閉の子を持つ親であるから、カウンセラーやアドバイザー等の専門家の方とお話しするときに、
相手が私の話に、
「お母さん、がんばってますね」
「大変だったでしょう」
と、まず、共感する導入をされました。
ビギナーの頃ならともかく、自閉症を知って1年も2年も後だと、かえってこういう風に共感されると、かえってイラだちました。
私は自分が、がんばってるのぐらい知っている。
そう言われても苦笑いしかできない。
それより、具体的にどうしたらいいのかを知りたい。
こういう「共感」は、カウンセラーのマニュアルか何かなんでしょうかしら?
余談ですけど、DVについて電話相談をしたときも、「あなたは悪くないんですよ」と、いわれて、「それはわかってるわよ」と思い、これもかえって何もいえなくなった覚えがあります。
そして、逆にこちらが相手に励ましやアドバイスの言葉をかけるとき、
ビギナーの方ならば、それで良いのでしょうけれど、
そのかたが、それに慣れてしまって、
共感が、励まされるどころか、共感されることで「自分はこれでいいんだ」と、自分の状況に慣れてご自身を甘やかし始めたとき、
また、そうであるのが見えてきたとき、
私は共感を送ることが、むなしくなってきました。
共感は、確かに心地よいでしょう。
でもそのかたが、それで自分を甘やかしはしてないか?
ほんとうに、その共感がそのかたのためなのか?
自閉者は、否定語は嫌いです。
否定されることは、痛みと感じます。
(他者が否定されていても、自分も痛いと思う方も多いです)
ですけど、共感、同情だけが、ほんとうにそのかたのためなのか?
私は、最近、疑問に思っています。
クロムさんが知りたいことへのレスではなくて、もうしわけありません。
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