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▼クロムさん:
はじめまして。自分がASでは?と感じている36歳主婦のぴぴです。
20代半ばまで、クロムさんと似たような考えをしていたので、
返信したくなりました。
>掲示板でもコミュニケーションをとるには、
>言い方がわるいですが、
>「嘘でも」つまり「不確かでも」
>とりあえずは共感的と思われる表現をした方がいいのでしょうか?
>それは、不誠実には当たらないですか?
不誠実に当たらないと思います。
目の前にいる相手とのやり取りとは違うので、
掲示板で文字のみで共感性を示すもの限界があるかなと思っているので、
共感的表現を形式的に使うことはしません。
私は掲示板では自然に共感できた時のみ、
「それは大変でしょうね」などの言葉を使うことがあります。
>考えてみると、人にいたわりの言葉や、
>「良かったねー」「いいねぇ」などの、
>コミュニケーションの場で他の人からは良く聞く言葉を、ほとんど使ってません。
>頭の中では「話を聞くとそれは苦しそうだ。自分もそんなことがあったら苦しいだろう。しかしこの人は苦しいとか大変と思っているかどうかわからない」
>とか「この人にとってこれは良かったんだろうか?」と悩むので、
>たいていの話には
>『ああ、そう』『ああ、そうなんだ』
>などと、少し感嘆をこめて言っておいて、考え込む事が多いです。
私も20代半ばまでそうでした。
しかし、どうもこの社会で生きるには、必要な言葉のようです。
学生時代よりも、社会に出てから痛感しました。
これについては、他の方も投稿されていましたが、
社会では好意表明として共感を示す言葉を使用するのは大切だと思います。
私は気安く「良かったねー」なんて言ったら、
相手に誠実じゃない気がしていました。
誠実に話を聞いていることを示すために「ああ、そう」と返していましたが、
「そっけない人」「話を聞きたくないの?」と言われてしまい、
自分はそんなつもりじゃないのに、、と混乱したことがあります。
私の場合は、生きていること自体が他所の世界に来ているみたいな感覚なので、
この世界での人とのやり取りの方法、というかルールに従うつもりで、
「ああ、そう」という言葉の代わりに「良かったねー」「大変だったね」
という言語を使用するようになり、それまで感じていた支障は減りました。
また、これらの言葉を意識して使っていくうちに、
それとなく自分に身につき、自分なりに自然と口から出るようになりました。
>実はわたし自身は、
>例えば自分の困った体験を話した時に、
>「つらかったねぇ」とか言われると、
>私の全ての要素を話してないのに何でそんなこと言うんだろう?
>と思ってしまいます。
>というか、共感されたくて話をしていないです。
そうそう、わかりますよー。
「良かったねー」とポジティブなことに共感されることについては平気になりましたが、
ネガティブな物事を共感されると、少し戸惑ってしまいました。
「つらかったねぇ」も相手の好意表明なんでしょうね。
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