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▼クロムさん:
こんにちは。
クロムさんの投稿読ませていただいて、なんだかとても私の主人がだぶりました。
>それは、相手がどれくらい大変だったのか、良かったのか、苦しかったのか、うれしかったのかは、その人でないとわからないので、
>確実ではないから安易に共感できないと考えるからなんですが、
>これが、共感性が低いということなんでしょうか?
いえいえ、私にはクロムさんのとても誠実な人柄が感じられます。
安易に相手をわかったふうな言葉は使えない、という心境なのですよね。
たしかにどんな人でも 相手のことをすべてわかる人はいませんね。
もしかしたら クロムさんは「すべて」わかってないと つまり不確かだと 共感の言葉を使いずらいということなのでしょうね。
ただ、おおよその人が使っている共感の言葉は、相手の心境を100%わかって使っているわけではないです。
50%ほど理解できれば 共感の言葉を口にする人も多いかもしれませんね。
もうすでに他の方々がお話されてますが、共感の言葉は「相手に好意を示す」という意味があり、そして同時に
「あなたの話を、あなたの気持ちを、私は理解してあげたいと思っている、理解できるよう努力しています」
という意味表明が含まれるんだと思います。
たいてい共感されている側でも、100%わかってもらおうとはまず思っていないものだと思うんです。
でも、『気持ちをわかろうとしてもらいたい』との気持ちは 強く持ってるんですよね。
だから 共感の言葉をかけられると、「この人は、私の気持ちを理解しようと努力してくれてる」とわかって 安心するんでしょう。
わたしなどは、そうです。
>しかし先日4月から通っている資格学校のクラスメートに、
>「何を話しても『ああ、そう』しか言わない」
>と、いわれてしまいました。
>以後「ああ、そう」と言うたびからかわれています。
私の憶測なのですが、これはたぶん 言葉の問題ではなく「メタ・コミュニケーション」のほうの問題のような気が致します。
「メタ・コミュニケーション」とは検索していただくとわかると思いますが、非言語のコミュニケーションのことです。
同じ「ああ、そう」でも、何かが大変で困っている相手には、相手の大変さを思いやる表情で 真剣に「…ああ…そうか…」。
嬉しそうな相手には、ニコニコと笑みを浮かべ軽快に「あ☆そうー!!」。
と通常こんな感じに 表情、イントネーションなどで、言葉のニュアンスに大きく違いが出てきます。
きっとクロムさんの場合、そのあたりに違いが出てこないため、相手には心が読み取りづらく 平坦な印象を与えてしまうのだと想像しています。
自閉圏の人の場合、言葉に適切なイントネーションを加えたり 表情を加味するのが苦手なかたが多いので、それをカバーするとしたらやっぱり 言葉で共感の意を伝えるのが対策としては楽かもしれませんね。
最後にひとつ。
ことが重大であればあるほど、安易な共感の言葉より、深い沈黙のほうが誠実さをあらわすこともあります。
そういう意味で、リアルのほうでもこれから必ずクロムさんのそういう内面の 実直な誠実さをわかってくれる人がでてくると思いますよ。
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