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▼明子さん:
こんにちは。
>子どもだったら、まず子どもの気持ちを汲み取ってやり、「嫌だったね」「よかったね」と言ってから、諭したりすることってありませんか?
>大人の場合も同様かな?と思ってます。
ええ。
私もそう思いますよ?
私も100%「共感が出来ない」、とか、全ての人に共感を覚えない。
と、言ってるわけじゃないんです。
もちろん、同感する意見には共感しますし、
相手のおつらいきもちがわかれば、汲み取ったり、それに寄り添うこともありますよ。
そして、最初に挙げたように、そうすることが相手にとって癒しの場合もあります。
ただ、最初は、私は誰かれかまわず、そうすることが相手のため、と思っていたけれど、やがてそうではない相手や場合もある、ということを感じてきた。
といえばいいのかな?
>「子どもだから」許されるのは、まだ価値観や考えが未完成で自己責任がないからではないでしょうか?
>大人は子どもに意見できる立場なんですよね。
>その分、「子どもだから」と許される部分も大きいですね。
ええ。
ですが、ときおり、その許される子供のパターンを、もう許されない年齢の成人にあてはめてられる方も散見されるなあ、と私は感じております。
>SILVERさんの場合、成人の場合教えてあげる人がいないから教えてあげようと考えられるのでしょうし、相手が受け入れられる人だったらもちろん構わないと思います。
>ただ、受け入れられない人の気持ちを動かすのって、理解できない人に理解しろというのと同じくらい難しいことのように思います。
難しいですね。
ただ、こうした色んな意見の飛び交う掲示板で、
その人に寄り添うだけの意見が並んだとき、「そればっかりが世の中じゃないのよ。違う視点もあるのよ」と、おせっかいしたくなるんですよね。
そのおせっかいも、時と場合には行きすぎてしまう場合もある。
難しいなあ、と感じています。
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