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▼トンカチくんさん:
心理学を勉強されていたんですね。そう言えば心理学科ってけっこう怪しい人いませんでしたか(教官も含めて)?私の大学は教官同士が意外に仲が悪くて「人間関係を研究する人たちが何で?(?_?)」と目が点になっていました。
>俺の場合は、そもそもの始まりは、
>小5〜6の頃に好きだった1つ下の子(一時は両思い)が、別の私立中学に行っ
>てしばらく会わない間に、いわゆる非行少女と化していたことなんですけどね…
>
>入院していると聞いてお見舞いに行って、変わり果てた姿、本人の口から
>出た言葉などにびっくり…
>もちろん再会当時(高1)マジメ君だった俺は、悲しくてその晩泣きましたが、
>徐々に「あいつがあんなになったのには、きっと理由くらいあるだろう。聞くと
>ころによれば、いつの間にか両親、離婚しちまったみたいだし。」
>そんなふうに思えてきて…
>
>そしてやがて、また音信不通になってしまったのですが…
>「まあ何が善で、悪かなんてはわからない。それにあいつ本人と話ができない
>以上、どうしようもない。けど、学問的に、そのへんの理屈を学びたい。そう
>すれば、少しは納得できるかもしれない…」
>
>そんなふうに思って、臨床心理学の学べる大学を選びました。
>当時は心理判定員とか、家裁の調査官なんかを目指してたっけ…
>「あいつには俺は何もできなかったけど、せめて他の誰かに…」
>そんな風に思って。
私にもそんな出会いがありましたね。中2のとき教会で知り合った少女(彼女は当時16歳だった)が失声症(精神的ショックで声が出なくなる症状)で、「何でこの子話さなくなったんだろう」と不思議に思っていました。笑い声すら立てない、それでいてすごく美しい少女でした。コミュニケーションは筆談で、すごく大変だったのを覚えています。「こんなに大変なのに、どうしてこの子は話さない状況を選んだのかしら?」と興味を持ったし、そこまで追い込んだことは何なのだろう?とよく考えていました。自分とは対極にある人だと感じていました。
後から分かったのですが、どうやらその子は性的虐待を受けていたようで、そのショックで話さなくなったらしいです。その後1年ほどで教会に来なくなり、家も道路拡張のため取り壊しになって行方が分からなくなりました。
今考えればそういう行動で自分を必死になって守っていたのでしょう。当時はまだそんな彼女を分からなかったし、支えになることは難しかったから仕方なかったとは思いますが、今でも時折思い出して胸が痛くなることがあります。
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