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▼秋桜(管理人)さん 皆さん
元記事ついては、読むだけでしたが、秋桜さんの記事にちょっと惹かれて書き込みをします。
あくまで、私の感想ですが・・・
私は自分が当事者で、そして当事者の母親という難しい立場にいるのですが、だからこそ、自分の子供にとって、どんな人が必要だと思うかというのは、どうしても、秋桜さんの様な、『子供にとって何が必要かを見つめてくれる人、それを考えてくれる人』だと思ってしまいます。
それは、秋桜さんがそういった優れた支援者かどうかではなく、そういったパーソナリティという事で、それは人格者かどうかはまた、更に別の問題だと思います。
そして、親という立場で見た場合、日々迷いながら、戸惑いながら当事者を育てることの大変さもよく分かるのですが、そういった自分の中にある感情だけで物事を判断してしまう事は、時に子供にとっても相手にとっても、自分にとっても危険な事ではないかと思っています。
特に、このネットという世界では、現実ではあるが、ある部分はそうでは無い(自分の目で確かめた事ではない)という事を押さえておかないと、危険ではないかと思います。
色々な物事を見つめる時に、意見を発してる人だけの言葉ではなく、ではその相手はどう思っているのか、更に第三者はどう見ているのか、などの多角的視野に立たないと、その本質は見えてこないような気がします。
例えば円柱 ・・・ 正面から見たら ○ でも横から見たら □
というような、見る角度を変えたら、違った形に出くわすかもしれません。
そういった、見方をしていくには、やはり両者の話を聞くしかないでしょうし、第三者の話も必要になると感じます。
共感されるという事は、時にとても大事ですが、それだけでは解決できない現実もあるように私は思います。
一番大切なことは、親が駄目 とか 支援者が優れているとか という問題ではなく、その子供にとって、今何が大切か、何を選択していけばいいか という事だと思います。
それによって、今までいた場所を離れるのだって、その場に留まるのだって、それは正しい選択だったと思えます。
私は、この歳になって、自分の子供のように支援が得られれば、傷付く事もなかったなと思う事もありますが、反対に、色々な家庭環境の中で、自分で何もかも やらなければならなかった分、自分で考えて行動しなければならない事が多かったです。
でも、今思うと、私は自分で考える、自分の目で見る(人の情報に必ずしも頼らない)という事が、役に立った事もありました。
それは、自分の子をこれから どういった人間にしていくのかという『見通し』に繋がっています。
かつての私もそうでしたが、小学校に入学するくらいまでは、『子供の今』しか見ることが出来にくいです。
でも、その視野をずっと広げていって、この子が大人になったら、どうなって欲しいのかという事を考えると、(大学に入って欲しいとか、そういう事ではなくて、パニックを自分でコントロールできるようになるとかです)
では、今 なにをしたらいいのかという事が、少し輪郭として浮き出てきます。
そういった、少し大きな括りで見ることも、穿った考えになりにくいと、私自身は思っています。
発達障害の子供たちが、十人十色のように、世の中にも人の数だけ答えがあると思う事が、大切な気がします。
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