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▼理沙さん:
>うちの子は小学5年生ですが、
>クラス中からなぜ問題行動を起こしてしまうのか?
>とせめられ、自分でも解らない。
>治したくてもなぜそうなってしまうのかわからないと
>、みんなの前で泣きました。本人も出来ることなら、
>自分でわかるものなら、そんな行動はとりたくないと言ってます。
>自分から療育を望んで受けています。
俺がテーマにしているのはあくまで早期発見,
早期対応の対象となる学齢期期前〜小学校低学年ごろの子供の話だ。
発達障害児本人が周囲の目や自分の障害を気にしはじめることの多い、
小学校高学年については別のことを言わなければならなくなる。
ついでに言えば「本人との合意」ということを重視するならば、
合意ある療育支援を開始することができるのはこの時期からということになる。
もちろん、それでは遅すぎるという早期発見,早期対応論者もいるが、
果たしてこのサイトに顔を出している中途診断の発達障害者たちが、
「もう手遅れになった発達障害者」に見えるかどうかは、
よくご確認いただきたい。
それはともかく、「発達障害者の自発的意志」については、
以下のような場合を考えてみる必要がある。
例えば、子供本人が問題を起こすことに悩んでいるが、
解決策として大人からは「療育」という選択肢しか示されていない。
そのような場合、その子供は自発的な選択をしているように見えながら、
実は自由な選択はできていないかもしれない。
あるいは俺のダチが提示しているテーマに即して言うなら
それは好きで選んでいるのか仕方なく選んでいるのかいうことも問題になる。
例えば、いじめられている子供が「障害を治して」と泣き叫んだからと言って、
それを簡単に「本人がそう望んでいるのだ」と言いきっていいのかという話だ。
窮鼠が「何でもいいから、助けてくれ」と叫んだからと言って、
緊急の場合を除いて本当に助けるために何をしてもいいのかという点については、
議論の余地がある。
俺だったらその場合、一旦本人をいじめから保護して、
ある程度状況が落ち着いてから「お前は一体何を望んでいるのだ?」
と問いなおすだろう。
選択肢は発達障害児に対する最低限の人権保障がなされた上で複数示されるべき、
というのが俺の見解だ。
理沙さんのお子さんと直接関わっている訳ではないので、
どのような状況で「療育」を望んだのかという経緯については
もう少し詳しく話を聞かなければ分からない。
今のところ言えることは、
もし理沙さんのお子さんのようなケースがあったとしても
「早期発見,早期対応」と発達障害児本人の自己決定の問題に
決着がつく訳ではないということだ。
そして、自己決定はまだ難しいという前提を受け入れる場合でも、
発達障害児を取り巻く環境の改善,児自身の権利保障といった課題は
依然として残る。
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